昨年、コクヨがアクタスを子会社化することについて、記事に取り上げさせていただいたことがある。
昨今は、M&Aといった言葉もすっかり一般に浸透してしまうくらい、合併や買収が珍しくなくなった。三角合併の解禁による、外資参入を危惧しての合併なども多くなるのかもしれない。
合併について、批判的なわけではない。
それが必要であった場合、あるいはその方が良い場合、前向きに取り組むしかないのだと思う。
コクヨとアクタスの時にも思ったが、両者がそれぞれの良さを理解しあい、手をたずさえて発展できればと願う。
ただ、あまりにも多くなった合併に、関係ない位置にいながらも違和感を感じることもよくあることとなった。
例えば、川島織物の絨毯を、たまたま取り引きの多かったセルコンから取り寄せたりなどがあると、川島織物の工場見学をした時のことなどが頭をよぎり、それぞれの違いをやはり感じてしまったりする。
両社の発展であればそれでいいことなのだが、なぜか個人的には感傷的な気分が沸きあがってくる。
その企業が、はじめて"こうしていこう"、"こういうものを作りたい"と掲げた時の、その思いに集まった人の思いの塊は、どこでどう変化していくのだろう。
ものづくりの信念は、株式の計算で出せる答えではないはずだし、けれど先へ進むための掛け算・割り算に賢くなければ生き残れない・・・、そうやって変化を取り入れていくしかないのだろうか。
この問題は人の生き方の選択にまでつながって、しっかりとした立ち位置を、目を凝らして見極めることも突きつけられていくように感じる。