人間の成長などに当てはめて考えると、爪は数日で目に見えて伸びるし、伸びたら切る必要があります。けれど、人が子供から大人になるには、二十歳が大人と考えるなら生まれて20年はかかるし、もっと個人差のある心の成熟みたいな部分にいたって考えると、それこそ人それぞれにかかる歳月は違うかもしれません。
考え方といった部分について、今日こう考えたから明日から変わるということもあるかもしれないし、でもまぁ、頭ではわかっても…みたいなことは案外あるもので、真の意味で身につくのはうんと先ということの方が多いような気はします。
具体的なことだと、試験勉強なんかもそう。どこかの学校へ入るために勉強しているという人は多いかもしれませんが、学校へ入ったらゴールじゃなく、人生は一生勉強とも言いますが、その先のその先のその先で、どんなものの考え方ができ、どんな実行ができる人間になれるかのため、本当は勉強していたりする気がします。
小さな日々の積み重ねの違いで、先の未来が変わることは間違いありませんが、一速飛びで大きな変化なんてことは起こらない。長い目でみることができるかどうかは、けっこう重要なことで、人の生き方や生き様にまで左右することが多かったりしますし、その人がその後残すものの違いにまでつながったりします。
デザインに関わることでも、明日から現実的に実行していく何かで変化することもあれば、かなり長期的な展望で見なければ変わらないようなこともいっぱいあります。
日本という国の抱える事柄なども、ひとりひとりの日々の積み重ねと、長期的な見方、どちらも大切だったりします。
人って、近視眼的に短期的に、物事をみてしまいやすいこと多いかもしれません。
例えば、昨今の株をめぐる騒動などでも、当事者も煽るマスコミも1年ほどの間で全てが一転したり。ネット上での人の考えの行き来なども、短期的な考えに陥りやすいところが多いように感じます。
声が大きな強烈な発信ほど、短期的な見方に偏りやすいことも多かったりします。
けれど、その時々の己の行動を見つめながら、日々の積み重ねの努力を怠ることなく、そして長期的に見れるかどうかの、このさじ加減、かなり大切であることは間違いなく、情報過多な時代の中、振り回されることなく振り回すことなくあることもまた、“大人”の示すべき道なのかもしれません。
よい手本というものは、無理やりつくってつくれるものではなく、自然に伝わるような中にこそ“真”のものがあるのかもしれません。