2006年08月29日

誰も知らない

ある店先の金魚.jpg

都会を貫く商店街、その横丁にある小さな店先の小さな世界。
暑い夏の日、道行く人には涼しげで、懐かしげな風情の睡蓮鉢。
そこが金魚の世界だとは、気がつく人もほとんどない平和な世界。
都会の喧騒など余所に、静かな時間が過ぎてゆく。

「ねぇ、金魚よ金魚。おまえは今、幸せかい?」
小さな口をぱくりとさせて、小さな泡がぷくりと上がる。
それは返事だったのか、
話しかける人があるのを知ってか知らずか、
小さな世界をくるりとひと回り、元気よく泳いでゆく。
ここの暮らしはどうなのか、外の世界も夢に見るのか、
どんなに想像を膨らませてみても、金魚の心はどうしても、
金魚にしかわからない。
posted by Rin at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 街角・風景 等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月19日

主観と客観

主観と客観の違いを、どこまで誠実に認識して語ることができるか・・・、とても大切なことのように思う。

主観に突っ走ってよいものもある。
だが、いつまでもそれでは困るものもあるということ、そう客観的に判断されるものもあるということ。例えば、影響力をもって若い人々に伝わるような場などは、主観的な考えと客観性を分けて伝えることや考える必要性が高いと言えるのではないだろうか。


デザインを言葉で表現し、伝えるには限界がある。
その歴史や分類など知識的に学ぶことは、新しいデザインを生み出すための材料にはなっても、良いデザインを本質的に理解することから遠ざけることもある。
一般的に良いデザインは頭でっかちではない、すごく自然体であること(人や自然にやさしいといったことなど)が多い。これもあくまで、一般的な客観視によるところであって、“良いデザイン”は、人それぞれによって違うという部分が必ずある。
とても個性的なものが、ある人にとっては絶対無二の“良いデザイン”であることもある。
一般大衆向けと個人向けでは全く判断が変わるし、一般大衆向けでも人それぞれの感じ方によりけりであったり、時流に関わって変化することもある。

もし間違いなく言えることがあるとするなら、それを必要とする人にとって、どうあるデザインであるのか。それに尽きる気がする。

必要とする人にとって、必要とされるものが揃っているのか。
機能面、鑑賞面、価格面、そこから受ける精神面・・・、様々な面で、必要とする人が納得できるかどうかがすべてだ。
それを追究し、理解し判断できる、創りだせることができるかどうか。
本質はとても単純なことを、総合的に組み込んでいくことができるかどうか。
主観的判断は、その単純なことを複雑化して、見えにくくしていると感じることが多い。主観に傾く批判や自らの言葉に酔う言葉などは、デザインに必要な本質が本来は単純なだけに、空虚に感じる。

自分のためにデザインするのでないかぎり、その行為には、常に客観性が必要とされる。
客観的なものの見方の重要性が、ここにあるように思う。
posted by Rin at 14:18 | TrackBack(0) | デザイン全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月14日

呟き

私の耳は貝のからjpg

私の耳は貝のから 
海の響をなつかしむ

    ジャン・コクトー
    堀口大学 訳・月下の一群
posted by Rin at 23:58 | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。