2006年09月27日

“かわいい”が世界を制す

日曜日の夜に放送されていたNHKスペシャル、「東京カワイイ★ウォーズ」。
東京のファッション界の昨今の異変、リアルクローズのファッションフェスタ「東京ガールズコレクション」の盛り上がりと、対するモードの世界。モデルのエビちゃんこと蛯原友里さんの大ブレーク。ファッションフェスタ×ファッションの携帯サイトでの販売。
東京発信のマルイが大阪に進出し、それを見に行った後で見る番組としては、わたしにはとてもタイムリーな内容でおもしろい番組でした。

かわいい綺麗なモデルさん達が、ごく普通の女の子達にとって遠い存在ではなく、“わたしと同じようにしてみてね☆ねぇ〜かわいいでしょ〜”と、おいでおいでと手招きする世界観が、買いやすい価格的手ごろさも手助けして若い女の子の心を虜にしてしまうのも、わかる気がします。
まぁ、うまいですねぇ〜という戦略ですね。
おしゃれ好きで買い物好きな若い女性の、すごく自然な心理を突いた戦略だと思います。

そう、ビジネス戦略なわけです。
しかし、この番組を見ながら感じたことで、わたしがなんとも言えず少々しみじみしてしまったことに、ファッション界もまだまだ男社会なんだなぁということがありました。NHKの番組編集の仕方のせいなのかもしれませんが・・・。どうなのだろう、と感じました。
コシノヒロコさんも出演されていましたが、エビちゃんを招いて戦略を練るフクスケのご様子も、モードの世界「東京コレクション」の運営に関した会議シーンでも、おじ様男性が頭を悩ませておられる。その印象がやたら強く感じられましたし、悩まれているご年配の男性の方々のファッションセンスも、少々・・・気になってしまいました。
男社会の点では、「東京ガールズコレクション」の主催も、お若い方ですが男性です。渋谷で販売員されながらデザインもやってる女の子(彼女達のパワーはすごいと思いましたが)も登場していましたが、経営者はあくまで男性。
そして、ご年配の方も若い方も、買ってほしいターゲットの女性達の“かわいい”の一言に右往左往しておられる。
ビジネスの舞台裏なわけですが、男社会にありながら年配の男性のご様子などには、なんとなく悲哀を感じなくもなく、少々痛ましく感じないこともなかったのでした。
もうちょっとビジネスでの表舞台に女性を立たせることを考えていけば、わざわざ“かわいい”に慌てなくても振り回されなくても、売れる、話題を呼べる仕掛けを創り出すことに、そう苦労しなくても済むような気がしたり・・・。エビちゃんに意見をお伺いしてたフクスケにしても、社内の女性達の意見に日頃から耳を傾けてらしたのかなぁ・・・という気もしなくもなく。う〜ん、ほんと、どうなのでしょうね・・・。エビちゃんのネームバリューが欲しかっただけに終わってしまうと、後が続かない気はします。
リアルクローズがなぜ売れているのかといえば、それを纏う大人気のモデルさんにしても、普通の女の子達が感じるようなことをうまく表現しているところにもあるのですから。

そして、コシノヒロコさんの言葉、「真似だけでは、永く続くものは創りあげられない」。これも、その通りだと感じました。
現在のリアルクローズの世界は、モードから変換さえて一般向けにし、価格を抑え、綺麗だけど身近に感じられるモデルさん達の活躍により親近感も植え付け、けれどデザインで言えばモードから“真似”てる世界でもあると感じます。渋谷で大活躍の女の子達もプロではなく、プロはいらないと経営者男性は言い切っておられました。その年代にある女性達がその年代の心理で流行を追えば、売れるものに確かにたどり着ける。けれど、彼女達もいずれ気がつくはずです。単なる流行だけで自分達が終らないためには必要となってくるであろう技術や知識についてを。プロのデザイナーはいらないという渋谷の店だけで、2週間で賞味期限が切れるという流行に追い回される繰り返しだけに終わらず、経営者も息切れせず永遠に続けていくことができるのか。わたしには、かなり謎な気がしました。その方が大変だろうなぁ(精神的にも、体力的にも)・・・と。そのことに先に気がつくのも、界隈と密着しながらマーケティングしてる、成長していく女の子達だったりして。

企業で団塊世代が去る時代、しばらくは混沌とした時代になりそうな気配もありますが、それと同時に、女性の購買力によって成せる世界では、その舞台を支える力には、もっと女性が華を添えていていいんじゃないかなぁと思ったりです。その方が、世界を制す“かわいい”を操れますよ。“かわいい”のお次は何がくるかも見えてきますよ、きっと。どうぞ、と、やさしく道を開けてみませんか?紳士諸侯。(それに踏ん張ってばかりいて疲れちゃうより、その方が素敵になれますよ、きっと。)なーんて。

わたしもおしゃれ大好きな人間ですが、1ヶ月のお小遣いや生活費をすべてつぎ込んじゃうような買い方には、要注意ですよ、女の子達。だって、おじ様方の懐ばかり潤す、おいしいカモになっちゃうこともないのじゃない・・・。なーんて。
(少々、黒くて先が三角に尖ったシッポが生えて、背中にコウモリみたいな黒い羽が生えて・・・きそうな意地悪虫な気分でもありますが、いえいえ、まともな考えでもあると思います。(苦笑)年頃のお嬢様をお持ちのおじ様方なら、これも間違っているとは、おっしゃらないかな・・・と。)


****************************

追記:(2006.09.27 12:00)
ちらっと、男性のファッションに絡んだことも書いたりしましたが、わたしは、一般的に言われる“人は見た目”の重視派ではないのかもしれません。人それぞれ、見た目の感じ方も違うと思いますので、これも表現しにくいところですが、“見た目”は確かに大切な要素ではあると思いますが、中身から見える“見た目”がより大切だと思っていたりです。
女性がそういったことを書きますと、“どうせ自分がたいしたことないし、自信がないからだ”とか言われかねないので、今まであまり書いたことがないことですが、・・・まぁ、ことネット上などだと、ご自分の見た目に自信をもった発言をしている方にリアルにお会いして、本当におっしゃる通りに見た目も素敵な方だと思ったことは、ほとんどなかったりします。
それを口にしてしまう時点で、本質的に品性というものをあまりわかっておられないのかも・・・、という見方もできるということ。自信を持つことと、口にしてしまうことは違うということは、かなり感じることが多いです。
そういう点でのネットとリアルの矛盾は、よくあることかもしれませんね。他人の服装について、きちんとすることを奨励することを熱く語っている人が、多くの人の前で“あんなこと言ってた方が?うっそォー”とのけぞってしまったこともあったり。
こういうことにしても、言わぬが(書かぬが?)花なのかもしれません。

日曜日のTV番組で気になったのは、ファッション業界の方なのだからと、放送されるのだからという部分がありました。ラフさでお気が回っていないみたいな、パリッと感は、けっこう大事ですよ・・・みたいなことが気になってしまった・・・みたいなです。
取るに足らないことでもある、かもしれません。

男女問わず、やっぱり中身が大切だと思いますよね。
そして、雰囲気に表れる適度な心身の健康的健全さと清潔感があれば、言うことなし。
それとデザインも、相通じる部分があるような・・・。


posted by Rin at 00:45| Comment(2) | TrackBack(1) | デザイン全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月25日

なんばマルイ

なんばマルイ1.jpg

【住所】大阪府大阪市中央区難波3-8-9
【TEL】06-6634-0101
【営業時間】AM11:00〜PM8:30

【開店】2006.09.22 <新築>
【経営者】滑ロ井

【設計施工】建築:竹中工務店 内装:エイムクリエイツ
【環境デザインプロデュース】間宮吉彦

【関連HP】http://www.0101.co.jp/namba/


先週の金曜日9月22日、大阪・ミナミの難波駅前に「なんばマルイ」がオープンしました。
首都圏を中心に“駅のそば”をひとつの売りとし、10代後半から20代の若年層をターゲットに展開してきたチェーンストアーの関西2号店です。1号店は神戸マルイ。こちらも三宮駅のすぐそばにあります。
今回の大阪初の出店が“なんば”であること、これは大阪での集客を見込める立地を考えた時、必然であったのではないかと感じます。全国でご存知の方も多いことと思いますが、大阪といえば、賑う街が“キタ”と“ミナミ”というように分かれて発展しています。この現象には、大阪郊外と市内を結ぶ交通機関の終発着駅のある場と、おおいに関係があります。マルイが出店した“ミナミのなんば”は南海・近鉄線のターミナルであり、“キタ”は阪急・阪神線のターミナルと京阪沿線から出やすい市街地となっており、それぞれの特色はあるものの、商店はうまく集客を分け合っている状態にあります。“キタ”である大阪駅・梅田駅前周辺での若年層ターゲットの施設状況を考えると、すでにかなりの飽和状態にあり、それに比べると難波駅前であれば、古くからある高島屋ともターゲット層の範囲から競合というよりは相乗効果を生み出せる関係になれる。こういった状況が、“なんば”での大阪初の開業のポイントにはなっているように感じられます。

環境デザイン面では、神戸マルイでもデザインディレクションなさっていた間宮吉彦氏のプロデュースということで、オープン当日、デザイン関係者らしき訪問者も多かったように思いました。わたしも当日、訪れました。なかなかの盛況ぶりで、この日ばかりは若い人々の姿だけでなく、老若男女、様々な人々が集まっていました。レディスグラマラス系カジュアルなどのフロアで、スーツ姿のおじ様方がウロウロしている姿を大量に見かけたりするのは、最初のころだけの光景ではないかと思います。
訪れた時間帯によっては、地下はそれほどの人ごみではなかったようなのですが、おそらくはオープン前の行列が1階外回りに出来ていたことでしょうし、その影響で1階に人が集中していたのではないかと思います。落ち着いてきたら、この施設の集客口は御堂筋線地下鉄出入口に面している地下からがメインになってくるのではないかという気がします。
それを見越してか、地下フロアの店内環境造作は、神戸マルイの1階を思い出させる仕上がりとなっており、神戸でのデザインイメージのキーワード&コンセプトとされていた“プチゴージャスシック”にして“表情のある空気感”と相通じる、表情があって透明感のある空気感を地下フロアで力を入れて表現されているように感じました。そういった商業施設デザインの中でも正統派的な“キレイさ”をすっきりと自然に表現されるのは、間宮氏の作品に多いように感じます。とても安定感のある、信頼度の高いデザイン性を感じるものです。

あと、環境デザインでわたしが惹かれたフロアは、メンズフロアでした。おそらく、昨今の若年層女性陣のファッションへの購買意欲は、フロア環境に左右されない力もあり、個々のテナントの商品の見せ方の魅せどころの方が重要かもしれません。男性陣のファッションへの関心もかなり高まってきている時代ではありますが、女性ほどではない。そこでフロア全体で惹きつける力も、重要になってくるのではないかと思います。
メンズフロアの5階と6階で、色彩や素材で天井と床の仕上げを反転させていました。5階では通路にブラック系の格子調カーペット、天井には基本を木とし、ブラックのランダムなパンチングメタルとスチールのオブジェでリズム感を出すといった仕上げであるのに対し、6階では木のフローリング床にブラックの天井といったように、反転させることで遊び心のある飽きさせない空間構成を生み出していました。また5階6階ともに、エスカレーターで上がってきた時は、色彩と照明による暗め視覚になっており、「なんだろう」と覗き込みたくなるような雰囲気で、反対に下りのエスカレーター口は明るめで「もう少し見ていこうかな」といった心理が働きそうな、そんな構成をされていました。
間宮氏によるトータルプロデュースのもと、5階のデザインは、タワーレコードのアートセクションで活躍後、テキスタイルデザインやコンバース・docomoのデザインも手掛けるなどで知られる有田昌史氏によるものだそうです。
メンズでのテナントの雰囲気は、30代前半もターゲットゾーンに入っていることを特に感じさせるもので、ビジネススーツなどをメインに取り扱う丸井のプライベートブランド「ビサルノ」は、ガンバ大阪の宮本選手(たしか現在29歳)がモデルを務めていたりで、全体的に落ち着いたイメージを作り出していました。それはレディスも同じで、渋谷のカリスマ販売員から転身、独自のブランドをプロデュースする森本容子氏の「ブラック バイ マウジー」なども、若年層だけでなく受け入れられそうな美脚ジーンズを店頭に、落ち着いた店作りを展開していました。

写真を撮ってご紹介したかったのですが、店内のいたるところに案内係の腕章をつけられた方と警備員の方がおり、普通に来店客として入場した場合、ちょっと携帯のカメラを構えても注意されそうだなという雰囲気でしたので、あきらめました。
もう少し入場者数も落ち着くころに、カフェに立ち寄るなどもして、ゆっくり廻ってみたいと思っていたりです。
帰りがけ高島屋も少し覗いてみましたが、高島屋は高島屋で賑わっていました。
ロータリーを挟んで向かい合わせ、横から見た時の組み合わせと眺めは、なんだか対立しているようにも感じられる眺めなのですが、透明感のある新たな施設環境がミナミの新風として、駅周辺の清潔感向上や更なる活性化につながっていってほしいと願うものです。

なんばマルイ2.jpg なんばマルイ3.jpg

2006年09月18日

暫し、足を止め

つかしんにて.jpg

暗闇迫る中、照らし出され浮かび上がる空間は、
昼間見た世界とは別世界のような空気を放つ瞬間がある。
灯りのイリュージョン。
この瞬間を、ここに創り上げたかった人があることだろう。
送り出されたそのメッセージを受け取る時間。

2006年09月17日

全般を理解せずして成り立たず

ラグジュアリーという言葉、最近よく使われるようになった言葉だと感じる。実際わたしも、例えば「マンダリン オリエンタル 東京」について記事を書かせていただいた時、ラグジュアリーという言葉を使っていた。訳せば“豪華で贅沢”といったことだが、こいうった横文字に少々+αな香りのような隠し味的魅惑的感覚を持ってしまいやすいところ、使ったわたしも苦笑してしまうものだったりする。
そして、その言葉を使わせていただいたマンダリン オリエンタル 東京などは、確かに魅惑的な場所でもある。素敵なところである。それは別として、ここしばらくの間に感じたことで話を進めたい。

最近、東京にお住まいの方とお話する機会が何度かあり、よくありがちな話題として、東京VS大阪・関西みたいなことでも盛り上がった。東京の方の、大阪や関西に対してお持ちの感覚が、本当に人それぞれに違っていておもしろかった。いわゆるステレオタイプな大阪のイメージ、お笑い・たこ焼き、道頓堀に見られるような街からのイメージが大きい方もあれば、そうではない部分もよくご存知の方もあり、とはいえ聡明な方々は皆さま実に心得ていて、関西人のプライドを傷つけるのはうまいやり方ではない(笑)、みたいなこともよくご存知でデリケートさを失わない、とても表現がお上手だったりする。全国規模、あるいは更にグローバルにビジネスで成功できる方というのも、そういう方であるということを感じることも多い。

さて、“ラグジュアリー”だが、雑誌などで東京の施設の説明に使われたりをよく見かける。東京へいざ行かんのお誘い文句としての“ラグジュアリー”。けれど、関西にラグジュアリーな場がないかといったら、そうではない。関西人がラグジュアリーを東京に求めているかといったら、それもおそらく違うような気がする。そういう方もおられるだろうが、どうかなぁ、わたしは違う。わたしの場合、東京生まれの関西育ちで、どちらの良い部分も悪い部分もある程度はわかって、まぁ、どっちがどっちと比べられるものでもないと思っていたりではあるが、大阪のステレオタイプな部分とは違った面はもっと知られてほしいし、案外、日本人全般の感覚を理解する早道が関西には多々揃っていて、それを理解できる企業や人は、首都圏範囲のビジネスに終わらない・・・なぁんてことを思ったりもある。それはわたしが現在、関西に住んでいるからという欲目の部分もありだが、地方の方々も同じように、首都圏ではなく、我が住家のある地の良さを常々知られてほしいと心ひそかに思っている人も多いのではないだろうか。
例えば、そんな心情を無視した雑誌などの購買部数が今後伸びるのかどうかも、少々疑問の残すところではあると思う。
わたしの欲目に話を戻すが、お江戸以前の日本文化は、なんといっても西からであり、鎌倉より東の首都圏を通り越して北でも広がっていた。例えば建築などでの、豪華にして贅沢、荘厳な文化跡を、非常に身近で目にしていることが多くて、それについて改めての意識を持っていないのは関西人かもしれない。
何を古い時代を持ち出すと思われるかもしれないが、どんなに欧米文化が入り込んでも、日本人は家では靴を脱いで生活するし、フローリングも欧米文化のように思われがちだが、床板貼りは日本文化である。デザインについて言えば、文化や生活様式とは切っても切れないものだし、この活動はビジネスでもある。根底的なことに目を向ける意識がなければ、それ以上の発展などないし、上面だけの流行に終わるようにも感じる。

首都圏は、確かに情報発信が早くて多く、変化も早い。だが、首都圏エリアのみを対象としないビジネス感覚を持つには、地方から見た首都圏への憧れ意識といったものをくすぐるみたいな感覚と同レベルのアプローチ、それで成り立つ時代は既に終わっているという認識も必要ではないだろうか。日本から見た海外への意識も、そろそろ同様のようにも思う。
交通手段の発展、インターネットの発達、情報はあふれ、感性の磨き方も人それぞれの時代だ。
日本の一般ピープルを甘くみてはいけない。海外から見れば、靴を脱いで家の中、清潔に綺麗に住まう日本人は、それこそラグジュアリーを昔からごく自然に手にしているのかもしれない。

ラグジュアリーという言葉、わたしが今後使わないかといったらそうではなく、関西の、全国の、世界の、魅惑あふれるラグジュアリーな場も機会があれば訪れたいし、紹介したいものだと思ったりである。
posted by Rin at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | デザイン全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月16日

ひまわり


夏の終わり、秋の始まり。

街に咲いたひまわりは、
一面仲間が咲き誇る
広い大地を夢に見て、
かなわぬ夢を抱いたまま、
恋しがるようにもの哀しい。
けれど一輪、凛と咲き、
その艶やかさで街を彩る。
その艶やかさは
人の心に留めおき、
涼しい風を受けながら、
終わりを告げる季節になお、
俯きながらも凛と佇む。

終わりを告げるひまわりは、うなだれ俯きもの悲しい。
けれどその俯きに、種が実り命をつなぐ。
夏のきらめきは思い出に、傾く太陽を背に受けとめ、
ひとつの時を刻み終えてなお、俯きながらひそやかに微笑む。
終わり、そして始まりに。
posted by Rin at 13:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 街角・風景 等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月03日

一期一会

ある晴れた日の昼下がり。暦では夏の終わりも感じ始める、澄んだ空気と青い空が広がるある日。
大きな大学病院の1階にある、中庭が一望できる食堂、その壁一面がガラスの窓際の席で、少し考え事をしていた。その瞬間もこの場所は、晴々とした空の色には関係なく、様々なドラマがあるような気がしながら。

眼のかすみを感じて病院を訪れ、いきなり手術が必要な病名を告げられた。手術すれば治るもので、今の医学からすると、それほど恐れる必要もない内容だからなのだが、普段から健康に自信を持った人間には俄かには信じがたいような驚きと、少し恐怖感も走る。
詳しい検査をするための目薬がさされ、その効き目が現れるまでの30分ほど、昼食をとることになった。

あまり食欲はなかったが、いかにも昔ながらの喫茶室にあるようなメニューの中にホットケーキを見つけて、それとホットコーヒーを頼むことにした。おそらくレトルトを温めたものだろう。ほとんど待つこともなく、差し出された。
普段ならぺろりとたいらげてしまいそうなホットケーキを少しづつ、食べるのか食べないのかもわからない感覚でフォークとナイフの先、いじりながら、大きな窓越しに見える中庭を眺めていた。
本当に良い天気だ。青い空の色も、植えられた木の緑の鮮やかさも、昨日と今日、何も変わらないのだろう。
変化していくのは、そこを通り過ぎる人の人生に起こる様々な出来事と、心の動きなのだろうか。

ぼっとしていると、ふいに声を掛けられた。小さくて、かわいらしいおばあちゃんだ。相席を申し出てこられた。他所の席が空いていなかったわけでもなかったが、断る理由もなく、かわいいおばあちゃんは目の前に小さく腰掛た。二人がけのテーブルに向かい合わせ、一期一会のほんの短いひととき。
おばあちゃんもホットケーキを頼んだ。

「昔ね、よく三越のレストランで食べたんですよ。」と、おっしゃる。
「北浜のですか?」そう尋ね返してみた。
「そうそう、よくご存知ですね。あのお店、なくなっちゃいましたね。子供のころ、母が食べに連れていってくれました。」
小さな、皺の沢山ある痩せた手で、静かにゆっくり、ホットケーキに蜜をかけた。
なぜだろう。ふと、泣けそうになった。自分の母のことも、頭をよぎった。でもここで、泣いてはいけない。
「三越、あと何年かしたら大阪駅にもできますよ。大阪駅の三越、見に行かなくっちゃですよ。」そんなことが口をついて出た。
おばあちゃんは、やさしく笑ってくれた。笑ってくれてよかった。
「そうですね、新聞で見ました。大阪駅にも出来るんですよね。じゃあ、見に行かなくっちゃねぇ。」

しばらく静かに向かい合わせ、ホットケーキを食べていた。
もうすぐ目薬の効きだす30分が経とうとしていた。
先に食べ終え、少し気になりながらも、
「では、お先に失礼します。大阪駅の三越、見に行ってくださいね。」
そう言って立ち上がると、
「それではその時に、またお会いしましょうね。」おばあちゃんは微笑みながら、そう言った。
小さな体の小さなお顔、皺がいっぱいのその皺も、とてもきれいに見えるやさしい笑顔だった。

あの時、不思議に、検査への不安は消えていた。
大阪駅の三越へ、わたしは母を連れて行き、おばあちゃんにも会いたいと、あの時、心から思っていた。
posted by Rin at 13:34 | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする