哲学する秋。もの思う秋。
・・・なんて言うほどのことはないのですが、実はまだ、片目が非常に見えづらくて、そういう状況になって初めて気がつくことや、見えなくて見えることがあったりな今日この頃です。
だいぶ慣れてはきたのですが、利き目が日々見えづらくなってきているので、かなり視界が悪くて気持ち悪い。さりとてメゲてもいられません。こんな時こそ、心の目は見開いておかないと・・・。
(本当はこれをご覧になった方にご心配をおかけしてしまったり、余計なお気を使わせてしまったりがありますし、わたしの場合は片目は見えていますし、手術を受ければ(わたしの目と年齢に合わせたものを使っての手術が、もう少々先でないと準備ができないため待っていたりです)見えづらい方の目も完治するようですので、本当に見えない状況にある方に比べたら、こうやって書いたりすることが甘えた状況と言えなくもなく、なのでためらいつつなのですが、見えづらい状況を体験することで思ったことを忘れないように書いておこう・・・と思って書いています。)
見えなくても、心配りされているデザイン。
見たまんまだけがデザインではないことは、デザインあっての機能、機能あってのデザインといったことでも、けっこう繰り返し書いてきたことなのですが、見えにくいと、さらにその大切さを痛感することに遭遇します。
よく見えているときには、ただ、かっこよくてきれいだったデザインされたもの。それが見えなくても使いやすいなら、なお良いデザイン。もちろん、すべてにおいてカバーしなければダメなんてことはありません。けれど、場所とモノによって、そうでもあってほしいものって、けっこうあります。
つい先日、仕事の合間に、某所のアップルストアーに立ち寄ることがありました。
アップル、“デザインされたもの”の象徴的存在ともなっていますね。ストアーも見た目、洗練されています。
・・・あぁだけど、わたしは、2Fへ上がるためにエレベーターを見つけられず、戸惑ってしまったのでした。半透明の綺麗な螺旋階段。でも、そこでの上り下りが、現在のわたしには非常に怖いと感じてしまったのです。さらにそれに追いうちをかけたのは、降りようとしているわたしを前に、階段を上がってこられた店員さんでした。階段踏面の幅の広い側を手摺を使って上がってこられ、わたしに気がついていらしたけれど進路を変えてよけることなく上がりきって行かれました。わたしは、店員さんが階段を上がりきって通り過ぎるまで、怖くて降りることができませんでした。
店員さんにしてみれば、まさかわたしの目が見えにくい状態にあるなんて思いもよらなかったでしょうし(見た目には、両目ともぱっちり黒々と普通に見開いていますから、全くわからないだろうと思います)、気にも留めなかったのかもしれません。ですがそういった対応は、わたしがかりに見えている状態でも、本当はストアーイメージとして、かなりのマイナスイメージなのは確かです。そのとき、たまたまだったのかな・・・。でも、そういう感じでもなかったんですよね・・・、ほんと残念でした。
おそらく、百貨店などで教育を受けてる店員さんには、あり得ない店内接客対応かもしれません。
デザインの社会って、まだまだ広い社会の中に照らし合わせて見た時には、一般常識的なマナー面などで遅れていると言いますか、教育が行き届いていないと言いますか、アバウトと言いますか・・・そういった面があることも事実で、…なのですが、そこのところに気がつける目を養っておかないと、良いデザインにたどり着けないことも本当なのです。
(アップルストアーについては、本当にたまたまであってほしいです。)
ラフでのびのびとしていることで良い発想が生まれることも確かにありますが、それだけでは足りないことはたくさん過ぎるくらいあって、その両面が必要だったりします。けっこう大切。
それこそたまたま今回、アップルストアーのような“デザイン”代表選手を掲げているみたいなところで体験してしまったから書きましたが、デザイン界を代表しているみたいな風でいて、案外、そんな心配りに欠けてると感じたお店、わたしは遭遇したこと今までにもないわけではありません。(そう感じた場合、今までは書く対象にしなかったということもあります。)
例えば、喫茶だけではなく食事もするような場所なのに、テーブルと椅子の高さのバランスが悪いために食事がしにくいところとか・・・。そのバランスの悪さは気がつかないようで、店内のいたるところに表れてしまっていたりします。デザイン、デザインと言われている場所で、そういったところなんかもありました。仮にその場所の意義が他の部分にあったとしても、デザインを社会へなげかけ、ましてやサービス面での充実につながるコンセプトも含めていたりする場所だったりした場合には、気がつくべきことだとわたしは思っています。でも、けっこう、そういうところのオーナーさんにかぎって、他所さんの批判を声高に語ったりするから、デザイン業界での“言わぬが花”を、わたしは非常によく感じてしまうのかもしれません。(苦笑)
それはさておいて・・・、自由さから感性を磨けばいいとして、常識を磨き忘れた・・・、そんな部分が、デザイン社会でのかなり大きな課題だと、ずっと思ってきたことでもあったりします。
そのことをちょっとしみじみと思い出してしまった、残念な階段での出来事でした。
“心配りされているデザイン”は、これからますます大切になってきます。
なにしろ、高齢化社会です。
また、デザインされたものが取り扱われる場所においては、そのサービス面の良さが、扱うもののデザインの良さ(クオリティ−の高さとでも言ったほうがいいかな)に比例するとも言えなくはありません。
そう言えば、今年のデザイナーズウィークのテーマは、“LOVE”ですね。“心配り”には、愛があります。主張する以上の思いやり。すごく関係あるかもしれません。
(この状況で、今年は東京までは行けそうになく、それも残念だったりです。)
わたしが、まだ一応若い(?苦笑)うちに見えづらい体験をしているのも、この体験も今後に活かしなさいよ!、というどこからかの思し召しかもしれません。(合掌)
<目のことについてなど、ご心配いただいたり励ましていただいたり・・・、メールなどいただきました皆様に、心から感謝しております。
こんな風にまた書いちゃっておりますが、大丈夫。体は元気なもので、スポーツジムで自転車こいだり腹筋したり(さすがにエアロビは今控えてますが)、そんなことも続けているくらいでして・・・、逆境は、いつか何かのバネにしてやるぞ・・・という根性のわたくしです。(でないと、イキテイケナイヨノナカダワ(汗))
秋深まる季節、皆様も、お風邪などひかれたりしませんよう、くれぐれもご自愛ください。
スポーツに、アートに、読書に、そしてデザインに、楽しめる秋でありますように・・・!>