2006年10月14日

Be ambitious.

Boys, be ambitious. 
Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement,
not for that evanescent thing which men call fame.
Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.

少年よ、大志をいだけ。
お金のためではなく、私欲のためでもなく、
名声という空虚な志のためでもなく、
人はいかにあるべきか、その道を全うするために
大志をいだけ。



札幌農学校(現在の北海道大学)の初代教頭だったクラーク博士の言葉として有名ですね。

先日、TVドラマ「Dr.コトー診療所2006」を見ていましたら、コトー先生から、勉強のために島を離れて東京の私立中学へ進学していく少年へ宛てた手紙の中に、この言葉が使われていました。
いい手紙でした。

クラーク博士やこの言葉についても様々な説がありますが、純粋に心を打たれる言葉だと思います。
若い人々に、純粋に伝えられたら・・・、そう思う言葉です。

ただの理想とかではなく、デザインの世界もこれができる世界だと、そうあってほしいとも思っています。


posted by Rin at 14:07| Comment(6) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

問われる言語

表現するための手段において、2次元と3次元の間を埋めることができるものが言語かもしれない。

だが、中途半端な理論は、中途半端なパースに似ている。
表現しきれない。

言語の使い方も、目的に合わせた使い方が必要であるし、理論の構成もしかりであると思う。何を目的とするのかによって、そのセンスも問われる。
そして、難解であってもわかりやすくあっても、真理を突いていなければ意味がない。難解なことを難解に解いていけば真理が導き出されるかと言えば、そうではない。どうも、この部分についての誤解をたまに感じられるため、あえて書いておく。

柄谷行人氏の哲学論の中に、デザインと言語の関係性にも関わる部分で、昔ちょっとおもしろいと思って読んでいたものがあった。そんな中に少し触れられていたことに、諸科学の発展を可能にしてきたものは、厳密さではなく、あいまいさであったといったことが理論だてて書かれており、妙に納得したことがある。そのことと、誤解を生むずれも少し似ている気がする。

(この書いている目的はいかに?!
あまり意味なし。一般的でなし。)
posted by Rin at 10:47| Comment(0) | TrackBack(0) | デザイン全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月13日

過去と未来をつなぐ城 ― 京都駅ビル

京都駅ビル1.jpg

京都駅ビル。1997年、建築家・原広司氏の設計によって建てられたものですね。
もうすぐ10年が過ぎようとしていますが、未だにいつ訪れても、未来感漂う圧倒される場所だなぁと思います。いにしえの都の玄関口に、未来への扉を開いている城がある、そんな感じです。
ここを訪れると、建築って、人って、すごいことできるんだ・・・そんなことも改めて思ったりもします。わたしには、ちょっとしたカンフル剤だったりします。

この計画が進んでいた頃は賛否両論が飛び交っていましたが、今や、この近未来的な建築物も京都という街の一部となっていっているのだと思います。
京都駅ビル2.jpgお気づきでした?烏丸通から車で京都駅へ向かってくると、ちょうど京都タワーが駅ビルに映りこんで見えるんです。街が映りこみ、いつしか街に溶け込んでいく。なんだか、そんな願いも込められているような気がしたりです。

建てられた当初、竣工直前に大林組の現場監理をなさっていた方に隅々までご案内いただいたことがありましたが、当時はただただ感心しながらお話をお聞きしているばかりで、あの頃、こんな風に書きまとめることをしていれば、いろんな裏話も鮮明にご披露できたかもしれないのですが、記憶だけでは間違ったことを載せてしまってもいけませんので・・・。記録し残すこと、大事ですね。

駅ビル西側を上りきったところから、夕日を見ることができました。
京都駅ビルから見る夕日.jpg 

京都駅ビル3.jpg
路と路を結び、風が通り抜けていきます。

様々な人間ドラマも生まれる駅。
そして、歴史ある都市のこれからをも見すえていく駅。
posted by Rin at 23:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月09日

瀬戸内オリーブ基金の募金箱

阪神百貨店-瀬戸内オリーブ基金jpg
このブログの左サイドバーで、ずっとリンクを貼っています“瀬戸内オリーブ基金”
その募金箱を、阪神百貨店のB1F・インフォメーションの横で発見しました。

パリの3星レストラン「アルページュ」のオーナーシェフ、アラン・パッサール氏に、“これぞ捜し求めたオリーブ”と言わしめた小豆島のオリーブ。(喜多俊之氏 談(OSAKA DESIGNER'S WEEK 2005 ・FORUMにて〉)
そんな日本の自然環境が育んでいた財産を、瀬戸内海の島々に広げ再生させ、残していけるといいですね。


呼びかけ内容.jpg

呼びかけ人をなさっておられる安藤忠雄氏の似顔絵が、なんとも笑顔を誘って“かわいい”です。
(こちらは、世界を動かす“かわいい”。なんて。(失礼しました))
posted by Rin at 20:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 街角・風景 等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月07日

中秋の名月

2006中秋の名月.jpg

昨日10月6日は、中秋の名月でしたね。
(台風の影響で被害を受けた地域もあるようですので、そんな地域の方々には、また改めて秋の名月が楽しめますように・・・。)
関西では、雲の間に間に覗いていたお月様です。

秋の月を愛でる。日本の四季を感じられる、素敵なことのひとつですね。

会社からの帰り道、お月様も垣間見つつ、通りすがりのお店で月見団子にも目が奪われたわたし。(花より団子!というわけではありませんが。(笑))いずれにしても、季節感を楽しめる心も忘れたくないものです。

名月を楽しめる空間・・・、例えば、そんなものを造ることになったとして、楽しめる心をもったことがないと、どうしたら良いものにできるかわからない。日本の暮らしの中で快適な生活空間を創り上げるためには、何気ない日常の中で、そんな四季の移り変わりを感じる心も大切かもしれません。
posted by Rin at 13:07| Comment(8) | TrackBack(3) | 街角・風景 等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月05日

見た目以上に大事なこと

哲学する秋。もの思う秋。

・・・なんて言うほどのことはないのですが、実はまだ、片目が非常に見えづらくて、そういう状況になって初めて気がつくことや、見えなくて見えることがあったりな今日この頃です。
だいぶ慣れてはきたのですが、利き目が日々見えづらくなってきているので、かなり視界が悪くて気持ち悪い。さりとてメゲてもいられません。こんな時こそ、心の目は見開いておかないと・・・。
(本当はこれをご覧になった方にご心配をおかけしてしまったり、余計なお気を使わせてしまったりがありますし、わたしの場合は片目は見えていますし、手術を受ければ(わたしの目と年齢に合わせたものを使っての手術が、もう少々先でないと準備ができないため待っていたりです)見えづらい方の目も完治するようですので、本当に見えない状況にある方に比べたら、こうやって書いたりすることが甘えた状況と言えなくもなく、なのでためらいつつなのですが、見えづらい状況を体験することで思ったことを忘れないように書いておこう・・・と思って書いています。)

見えなくても、心配りされているデザイン。
見たまんまだけがデザインではないことは、デザインあっての機能、機能あってのデザインといったことでも、けっこう繰り返し書いてきたことなのですが、見えにくいと、さらにその大切さを痛感することに遭遇します。
よく見えているときには、ただ、かっこよくてきれいだったデザインされたもの。それが見えなくても使いやすいなら、なお良いデザイン。もちろん、すべてにおいてカバーしなければダメなんてことはありません。けれど、場所とモノによって、そうでもあってほしいものって、けっこうあります。

つい先日、仕事の合間に、某所のアップルストアーに立ち寄ることがありました。
アップル、“デザインされたもの”の象徴的存在ともなっていますね。ストアーも見た目、洗練されています。
・・・あぁだけど、わたしは、2Fへ上がるためにエレベーターを見つけられず、戸惑ってしまったのでした。半透明の綺麗な螺旋階段。でも、そこでの上り下りが、現在のわたしには非常に怖いと感じてしまったのです。さらにそれに追いうちをかけたのは、降りようとしているわたしを前に、階段を上がってこられた店員さんでした。階段踏面の幅の広い側を手摺を使って上がってこられ、わたしに気がついていらしたけれど進路を変えてよけることなく上がりきって行かれました。わたしは、店員さんが階段を上がりきって通り過ぎるまで、怖くて降りることができませんでした。
店員さんにしてみれば、まさかわたしの目が見えにくい状態にあるなんて思いもよらなかったでしょうし(見た目には、両目ともぱっちり黒々と普通に見開いていますから、全くわからないだろうと思います)、気にも留めなかったのかもしれません。ですがそういった対応は、わたしがかりに見えている状態でも、本当はストアーイメージとして、かなりのマイナスイメージなのは確かです。そのとき、たまたまだったのかな・・・。でも、そういう感じでもなかったんですよね・・・、ほんと残念でした。

おそらく、百貨店などで教育を受けてる店員さんには、あり得ない店内接客対応かもしれません。
デザインの社会って、まだまだ広い社会の中に照らし合わせて見た時には、一般常識的なマナー面などで遅れていると言いますか、教育が行き届いていないと言いますか、アバウトと言いますか・・・そういった面があることも事実で、…なのですが、そこのところに気がつける目を養っておかないと、良いデザインにたどり着けないことも本当なのです。
(アップルストアーについては、本当にたまたまであってほしいです。)
ラフでのびのびとしていることで良い発想が生まれることも確かにありますが、それだけでは足りないことはたくさん過ぎるくらいあって、その両面が必要だったりします。けっこう大切。

それこそたまたま今回、アップルストアーのような“デザイン”代表選手を掲げているみたいなところで体験してしまったから書きましたが、デザイン界を代表しているみたいな風でいて、案外、そんな心配りに欠けてると感じたお店、わたしは遭遇したこと今までにもないわけではありません。(そう感じた場合、今までは書く対象にしなかったということもあります。)
例えば、喫茶だけではなく食事もするような場所なのに、テーブルと椅子の高さのバランスが悪いために食事がしにくいところとか・・・。そのバランスの悪さは気がつかないようで、店内のいたるところに表れてしまっていたりします。デザイン、デザインと言われている場所で、そういったところなんかもありました。仮にその場所の意義が他の部分にあったとしても、デザインを社会へなげかけ、ましてやサービス面での充実につながるコンセプトも含めていたりする場所だったりした場合には、気がつくべきことだとわたしは思っています。でも、けっこう、そういうところのオーナーさんにかぎって、他所さんの批判を声高に語ったりするから、デザイン業界での“言わぬが花”を、わたしは非常によく感じてしまうのかもしれません。(苦笑)
それはさておいて・・・、自由さから感性を磨けばいいとして、常識を磨き忘れた・・・、そんな部分が、デザイン社会でのかなり大きな課題だと、ずっと思ってきたことでもあったりします。
そのことをちょっとしみじみと思い出してしまった、残念な階段での出来事でした。

“心配りされているデザイン”は、これからますます大切になってきます。
なにしろ、高齢化社会です。
また、デザインされたものが取り扱われる場所においては、そのサービス面の良さが、扱うもののデザインの良さ(クオリティ−の高さとでも言ったほうがいいかな)に比例するとも言えなくはありません。

そう言えば、今年のデザイナーズウィークのテーマは、“LOVE”ですね。“心配り”には、愛があります。主張する以上の思いやり。すごく関係あるかもしれません。
(この状況で、今年は東京までは行けそうになく、それも残念だったりです。)


わたしが、まだ一応若い(?苦笑)うちに見えづらい体験をしているのも、この体験も今後に活かしなさいよ!、というどこからかの思し召しかもしれません。(合掌)




<目のことについてなど、ご心配いただいたり励ましていただいたり・・・、メールなどいただきました皆様に、心から感謝しております。
こんな風にまた書いちゃっておりますが、大丈夫。体は元気なもので、スポーツジムで自転車こいだり腹筋したり(さすがにエアロビは今控えてますが)、そんなことも続けているくらいでして・・・、逆境は、いつか何かのバネにしてやるぞ・・・という根性のわたくしです。(でないと、イキテイケナイヨノナカダワ(汗))
秋深まる季節、皆様も、お風邪などひかれたりしませんよう、くれぐれもご自愛ください。
スポーツに、アートに、読書に、そしてデザインに、楽しめる秋でありますように・・・!>
posted by Rin at 12:10 | TrackBack(0) | デザイン全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする