2006年12月25日

今、求められていること

仕事を続けていく中で、能力によってできる事とできない事というものもあるが、ビジネスとしてやる事とやった方がいいはずだけれどできない事もある。前者は個人レベルの問題だが、後者は所属しているところや仕事を請け負ったところの考え方に基づくことも多い。こんな悩みの尽きない方も多いのではないだろうか。

昨日の日曜日、某テレビ番組を見ていたら、日本人メジャーリーガーとして活躍しながら、日本の野球界にも貢献するための努力を続けている大家友和選手のことを取り上げていた。
大家選手についてスポーツニュースなどで名前は知っていたが、選手としてのみならない社会的見地に立った地道な努力を、それも実現化しながら続けている人であるということを、わたしは知らなかった。その活動には心を打たれるものがあった。
この5年ほどの間、彼はアメリカのメジャーリーグの球場へ、施設で過ごしているような子供たちを毎年招待していた。招待した子供たち一人一人とのコミュニケーションも持つようにし、その声に耳を傾けてもいた。
そして、野球界で社会人クラブチームが廃部に追い込まれる昨今の中、野球への夢をあきらめかけた人に少しでもチャンスの場をと、滋賀県高島市との協力体制という地域密着の形でのクラブチーム「大家ベースボールクラブ」を設立。クラブチーム維持のためには年間5千万かかると言われる、その数千万を彼が負担しているという。
クラブチームに所属する選手の方々も高島市内の企業に所属したり、チームとしても地域社会活動に参加したりしながら、地域に愛され、存続できる形を模索中のようだ。
それでもサッカー・Jリーグのように、地域クラブチームが昇格していけるような制度がない野球界では、選手のがんばりたいと思う心がなえてしまう現状もあるようで、野球界のあり方そのものにも大きな問題をなげかけてもいる。優秀な選手たちが日本を離れていく今こそ、プロ野球界が抱える問題の、目を向けてみるべき根本的な部分を、なんとか改善すべく努力を続けているのが、この大家選手の試みなのではないだろうかという気がする。
彼の行っている活動から考えれば、某IT企業元トップによる球団買収名乗り上げを引き金に社会が大騒ぎし、その果てに政界までがそのあり方をヨイショしていたことなどを思い出すと苦笑してしまう。

そして、野球界の抱える問題は、野球界に限ったことではないのだとも思う。
目先の利益を追求していく中で失われていくものの多さ。
本当に、今、求められていることは何なのか。
先を見越せば、いや、最終的に人のためになることこそが追求されていけば、多くの問題が解決されるのではないだろうか。けれど、世の中は後々には得られるであろう利益よりも目先の利益を追求し、望まれない姿になってきていること、そのことに気がつき始めている人も多いように思う。

デザインの世界は、こういったことへの影響力が、実はとても大きいかもしれない。
人が住まう場所、使うもの、すべてはデザインされたものであり、デザインするということは、良きにつけ悪しきにつけ人に寄り添ってあることに他ならない。
公共施設、大型施設などは、そのあり方で地域社会のあり方にも影響を及ぼす。
わたしの現在いる業界に関わることなどであれば、例えばGMS(general merchandise store)といわれる大型小売業のあり方が、今、瀬戸際だと言われているが、GMSが抱える問題は、そのやり方によっては数年後にモールと合わせた大型施設においても抱えかねない問題でもあるような気がしている。それぞれの都市のあり方、地域社会とのあり方、人の生活の変化や環境変化と共に考えていくことが、どれほど重要なことであるか、そういったことにどこまで切実に着目しているかで、生き残り伸びる企業とそうでない企業も分かれてくるようにも思う。
デザイン面では、例えばどこか他所の国のデザイナーがデザインした外装を真似たようなことを考えるよりも先に、問われるべきコンセプトと、それに則りはじめて考えられるべきトータルしたデザインもあるはずだろう。デザイン会社よりも、施設の経営者側で気がつきはじめ、変わり始めているところもあるようにも思う。

こうして書きながら、自らを省みたらどうかと言えば、言えたものではない。
けれど、今、社会で求められていることが、確実に変化してきているのは間違いなく感じる。
格差社会、高齢化社会、少子化、いじめ、凶悪犯罪、犯罪の低年齢化、偽装問題・・・。問題は後を絶たない。人が人を傷つけ、人が人を生きにくくする社会の歪みに、打ち勝って変えていくことができるのも、人でしかないのだ。人ごとでは済まされない。
一人一人の身近な小さな行動と、望む社会とはどんな社会であるかを、ささやかな日常でも具体的に考えてみることから始めてみても、けっして遅いことではないはずだ。

個人としての大家選手のような活動は並大抵のことではないが、社会構造そのものが悲鳴を上げながら彼のような行動も求めていることを、組織も企業も人も考えるべき時がきているように思えてならない。
posted by Rin at 22:24| Comment(6) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
デザインの領域をどの範囲で語るかにもよると思いますが、『売る』ためや、他との『差別化』のデザインに限界が来ている事を最近感じます。
というよりも、今まで目的と手段をはき違えていて、それによる弊害が顕著に現れてきたのかも?
妻が関わっている地域ブランドの研究や、私が関わっている地域の風景や景観づくりにおいてもそういう流れが見え始め、そろそろ一つの答えが見え始める。そんな気がしないでもありません。
曖昧なコメントですみません。
Posted by shotam at 2006年12月26日 01:48
shotam様

コメントありがとうございます。
そうですね。
そして、こうも言えるかもしれません。
売れるものも、差別化の範疇も変化してきていると。
さかのぼって戦後の高度成長期からバブル崩壊を経て
の現在、社会構造の目まぐるしい変化の中、消費者が
求めているものの変化に、売り手がついていっていない
といったこともあるように思います。
とにかく大量に生み出すことが成長の鍵だった時代から
抜けきっていないで、産業や開発に対しても突き進むと、
弊害がさらに大きくなっていくみたいな・・・。

景観などでは、京都市の新景観政策案が注目されている
ようですが、自治体が動き始める裏側には、施設のあり方、
そのデザインに対しても、住民がNOと駄目だしをし始め
ているということですよね。

shotamさんのおっしゃられるように、時代の中、流れとしても、
そろそろ答えが見えはじめていて、それに対応できるできない
が、デザインに関わる企業などにも突きつけられているように
思います。
Posted by Rin at 2006年12月26日 23:05
Rinさん。こんにちは。
はじめてコメントさせていただきます。

>地域密着の形でのクラブチーム「大家ベースボールクラブ」

この番組は私も拝見しました。
大家選手のこころみは本当にすばらしいですね。
サッカーに比べて本当にこころもとない野球の組織ですが
こういう一選手レベルでの試みは頭が下がります。
松阪や井川など有力選手がどんどん大リーガーに行ってしまうのに、一番の被害者であるはずのプロ野球機構の無策ぶりにはあきれてしまいます。
どうして我が愛するプロ野球はサッカーのように行かないのでしょうか。
リーダーと自負している某球団は視聴率低下を嘆く前にやるべきことをやれ!と思わず突っ込みたくなります。
(他のチームから札束を積んで有力選手をひっぱることしか能がない)

>目先の利益を追求していく中で失われていくものの多さ。

同じ番組でその前の週に取り上げられたことですが、北海道のある町のただでさえ衰退している中心街に決定的なダメージを与えた病院移転の話が取り上げられていましたが
一日3000人もの集客をしていた中心街の病院が移転してしまえば街がどうなるか子供でもわかる話です。
多くの住民の反対を押し切って、しかも現在の市長は移転反対を掲げて当選した市長ですが、計画が進んでいる(=つまり目先の損得を優先)ということで市長のGOサインが出され結局病院移転は決定されました。
市民、なかでも高齢者はその病院に行くにはものすごく不便になり、隣の市の病院へ行っている人が多い、とここまでくるともはや笑い話です。

求められるサービスを提供せずに
市の衰退に自ら拍車をかけるようなこのような行為を見るときいったい行政とは何なのか、と考えずにはいられません。
Posted by サーカスマン at 2006年12月28日 18:13
サーカスマン様

コメントありがとうございます。

プロ野球機構のあり方、本当になんとかならないものか
と思います。
どうしていくべきか、大家選手のように気がつかれて
いる野球界の方も、たくさんいらっしゃるはずですよね。
発言権の強いトップが、“今のままでは・・・”となげかけ
れば事は簡単に早急に進むだろうと思います。
(そうすれば見直され、視聴率どころか球場へ足を運ぶ
人だって増えるでしょうに。)

でも、そうはいかない・・・。
野球に限らず、大きな本当の意味で人のためとなる変化
は、下の方からじわじわと上がっていくものなのかも
しれませんね。

自治体による街の改革も、国がどう出るかを待って
いられない状況であるかもしれません。
お書きくださった病院移転についての放送は、残念
ながらみておりませんでしたが、都市郊外化の実情を
物語る一例ですよね。
サーカスマンさんがご調査なさっておられたコンパクト
シティは、求められる声を活かせた例で、こういった動向
が今後の各自治体の命運を分けるように思えます。

少々異なる例かもしれませんが、金沢21世紀美術館や
旭山動物園がなぜ注目されるのかにも同じような答えが
あるように思うのです。
単純にモノやカタチではなく、サービスであり考え方
ありきが求められる時代。

人のための社会でなければ、人が暮らしやすくなるわけ
ありませんものね・・・。


(コメントが2つアップしてしまったりすることは、どうぞ
お気になさらないでください。
わたしも時々やってしまいます。(^^;)
Posted by Rin at 2006年12月29日 08:05
今年も残りわずかとなりましたね。
体調はいかがでしょうか?
そうですね。最近はデザイン重視というよりもその先にある環境がすでに問題となっています。デザインばかり重視するだけでなくデザインも環境も含めた設計を従事できればと考えております。今年の10月ごろからアメリカで環境とデザイン教育が行われ、子供の視点から考えられる設計づくりが必要ではないかと私なりに考えております。環境の展示会を拝見すると本気に取組んでいる所やただ環境をネームバリューする企業もあり、本気でやっている所はとても少ないと思います。誰かがやればいいという考えではなく、自分たちで努力する必要ではないかと思います。地域ごとのコミュニケーションだけでなく失われつつある家庭でのコミュニケーションも。。。
Posted by urban+ at 2006年12月31日 17:23
urban+様

コメント、そしてお心使い、ありがとうございます。
今年も残すところ数十分です。
良い年をお迎えくださいね。

本当に・・・、誰かがやればいいでは、すまされなく
なってきている現状も感じます。カタチ先行ではなく、
何のためにデザインするのか、その内容が問われて
いると思います。
実践のためにurban+さんがおっしゃるように、地域
も家庭もコミュニケーションは大切ですね。

来年も、よろしくお願い申し上げます。
Posted by Rin at 2006年12月31日 23:18
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