2007年02月18日

境地

無.jpg

“無”や“空”といった境地とは、どのような境地だろう。
果てしない旅の先にようやくたどり着く心の世界のようで、それでいて、最も身近な内なる世界なのかもしれないとも思う。

今年、恩師からいただいた年賀状に、宗教よりも深い、新しい思想というものの存在を、宗教という言葉を使わずに表現することを考えておられるといったことが書いてあり、昔の人が無や空と表現してきた苦心が、今になってわかるように思うと締めくくっておられたことが、どこか心に残っていた。わたしが教えていただいていた頃、某芸大の学長でもあった恩師であり、その後の歳月の流れを思っても、想像を超える熟考の彼方の岸辺にあるようなことだ。恩師の云わんとなさっているような学術的な意味合いもある部分にはとうてい考え及ばないのだが、“無”や“空”といったものが宗教を超える真理として表現もされてきた、その所以に、近づこうとすれば救いがあるような気がしている。

自分が正しいと思うことが最も成し遂げたいと思うことだとするならば、その成し遂げたいことは自我を遠ざけなければできないことかもしれない。正しいと思うことは、自らにとって正しいのではなく社会にとって正しいと思うことで、最近のわたしの場合、そんな部分が心を占めていることが多い。
本当に成したいことだけを成さんとするならば、簡単に言えば、社会的に偉くなるしかないのだが、心のあり様の徳といったものも最後に関わってくるのかもしれない。
実社会の現実は、それぞれの我の塊のようなものに満ち満ちていることは多く、それらに取り囲まれた時に自我が更に敏感に研ぎ澄まされていくとするならば、それはいずれ自らを突き刺してしまうように感じている。実社会にめぐらされた我というものから逃れたくてしかたがなくて、もがいていることが多いのだが、簡単に逃れられるものでもない。そこから身を守ることも、自らの中でたどり着く、無であり空であるような気がしている。

これは心のカタチであり、永遠のテーマかもしれない。
posted by Rin at 02:14| Comment(3) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
確かに人生において、無や空を感じることが
たまにありますね。
自分が社会というフィールドの、ほんの小さな
点に過ぎないと思うと、非常にちっぽけな存在だと
思ったりします。
非常に大きなテーマではありますが、焦らずにお互い頑張って行きましょう。
Posted by カステラ王子 at 2007年02月18日 11:22
もしかすると、プロセスこそが尊い様にも感じます。
Posted by raku at 2007年02月18日 12:07
カステラ王子様

コメントありがとうございます。

仕事というよりも生き方について、考えること
の多い今日この頃です。(今にはじまったこと
じゃないですが・・・。苦笑)
まだまだ、入口さえ本当は見えていないような
ものなのかもしれません。
なんとも果てしないことながら、どんなときも
視線の先だけはそらさずにありたいものですね。


raku様

そうですね。
例えば、青い鳥が家にいたことを旅をして帰り
着いた時にわかる・・・、その旅が重要だという
ことと、悟るためのプロセス、何事もプロセス
は大事ですね。
Posted by Rin at 2007年02月18日 22:42
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/33995000

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。