D&DEPARTMENT大阪店での”Dの勉強会”に、参加させていただいたのです。勉強会は初参加、お店を訪れるのも久しぶりのことでした。行きたいなぁと思うことはしばしばなのですが、住んでいる方向が違うと、同じ大阪内なのに普段はなかなか行くことができなかったりです。
とても陽気でお話上手な、楽しいサンタさんの勉強会でした。
ここで、さて、どう記事に書かせていただこうか…、悩みました。お話くださった流れの大切な部分は、D&DEPARTMENTから発行されていらっしゃる小冊子『d』の中で、その代表であるナガオカさんがきめ細やかに書いていらっしゃいます。(今回、山元サンタさんを“氏”とはお呼びしたくなくて、いつもの書き方のナガオカ ケンメイ“氏”じゃなく、ナガオカさんです。敬意の気持ちは、今まで記事にさせていただいた方々と変わりないのですが。おや、書き方が違う…と、思う方もあるかもしれませんので、念のため…。)
そして、ここでわたし自身が感じたことを表現するには、もしかするとわたしのあらゆる囲いを全て払いのけなければ、伝わらないかもしれません。けれど今ここで、そこまでできそうになかったりです。
それぞれの人にとってのサンタクロースの意味を本気で解き明かして、どう考えどう感じるかを語ろうとする場合、おそらく生い立ちや生き方といった中にそれぞれの答えが隠れているように思います。
そして、わたしにとってのサンタクロースは、母でした。本当の幼いころのこととなりますと記憶がさだかではありませんので、サンタクロースという母ではない存在を思っていた頃もあったのかもしれません。でも覚えているかぎり、わたしのサンタは母で、サンタが母だったことをがっかりしたこともありませんでした。子供の頃、いつも一緒に過ごしているにもかかわらず、おおきなひらがなの子供の文字で、母によく手紙を書いたり交換日記したりしていたようです。それを未だに母は大切にとっていたりしますので、大人になった今それを見せられたりすると、ちょっと逃げ出したいような気恥ずかしさがあります。そんな中にクリスマスのプレゼントにかかわるやり取りもあったようで、母からプレゼントをもらい、わたしは母に“肩もみ切符”という手作りチケットとカードをよく渡していたようでした。わたしの数倍、気質がやさしい人である母との、平和でおだやかなクリスマス風景です。今も一緒に、クリスマスケーキやチキンやサラダを作り、楽しく過ごすことは変わらず続いています。
わたしは、幸せ者だったのだと思います。だからなのですが、日本のクリスマスが世界の中で、特別におかしいというような意識をしたことがありませんでした。クリスマスという日についてだけで考えると、確かに仏教国なのでおかしな部分がたくさんあるなぁと思います。なのですが、子供と大人をめぐる問題ということで考えた場合は、たくさんたくさん問題を抱えた日本の状況を思いながらも、日本だけが特別おかしいという意識は薄いかもしれません。なぜなら、一般的な家庭において、わたしの母だけが特別に子供への愛情が深い人ということはないと思うからです。
ごくごく普通に育った大人が、サンタクロースや子供への接し方を考える時、自分がどのように愛されたかを思い出してみることも、ひとつの手がかりにはなるかもしれません。
クリスマスという日のサンタクロースの存在は、その日をきっかけに、家族を大切にし、思いやりといった心や人の夢や希望を育む、そんな人の心を育てるための素敵な存在ですね。
もしかするとサンタクロースは、人を育て、人に育てられて、多くの経験を経て学び、その人の心の中、現れるのかもしれません。山元サンタさんが、サンタクロースとして活動する中で、様々な経験をされ、子供たちにサンタとして何ができるかを日々思いながら過ごされる中、“本物”のサンタクロースになっていかれるように・・・。
そして、人の暮らしの中でのデザインについて考えてみた時、人の幸せを育むための環境の、大切な一部であってほしい。そんなことを思います。無形の“心”を育てるために必要なカタチ。そのカタチを創り出せるのがデザインするという行為であってほしい。
古い良いものを守ることと、新しく創りだすことは、どちらも必要で、このバランスがこれからのデザイナーに必要とされることなのかもしれません。


さぁ、これから、サッカーの応援です。
キャンドルナイトしながら(テレビの電源ONじゃ意味ないかな(苦笑))、サッカー応援しようかなどと考えています。