2009年05月04日

ごあいさつ

goaisatu090504.jpg

KA-TA-CHIをご覧いただき、ありがとうございます。

長く記事の掲載を行ってきておりませんが、参考資料として訪れてくださる方もあり、過去記事をそのまま残しております。

今現在も、デザインに関わり、こだわり続けていることには変わりなく、また新たな気持ちで記事を掲載し始めることもできればと思っています。

このブログを通して様々な方と交流が出来ましたことは、大きな財産です。
その出会いを今後に繋げ、大切にできればと思います。

今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。      Rin







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2007年12月24日

Merry Christmas!!

2007クリスマス.jpg

素敵なクリスマスをお過ごし下さい。   Rin
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2007年09月04日

New wave

2007コスモス.jpg

すっかりご無沙汰をしてしまっております。
公私共にいろいろで試行錯誤な日々の中にあり、
ブログについてもまた、今後どのようにしていくか
を考え中でもあります。

インターネットの利用法も、社会的にも個人的
にも、変化してきているように思います。
古きものを大切にする思いは変わらずとも、
新しい波に自ら乗っていきたい今日この頃です。

                          Rin


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2007年06月30日

探し物

夕日200705.jpg

旅に出る前は青い空にあこがれ、
旅先では夕日に帰る場所を想う。
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2007年06月24日

百代の過客

百代の過客.jpg

日記的な、それでいてコミュニケーションもはかれるWebサイトとして発展したブログ。今や世界的に珍しいものではなくなっている。

(ブログとはまた別物と考えるべきだろうが、)
歴史的に見ると日本人ほど、日記というものを優れた文学として残している民族はいない。・・・ということを、実に詳しく海外へ紹介している本がある。
ドナルド・キーン氏による「百代の過客」。
時を越え、日本人の心情を文学的に伝える日記の数々。それらについて解き明かしている。
少し調べたいことがあって改めて読み返していてやはり思うが、こういう外国人の先生がいるということに、日本人としての誇りまで教えられてしまう日本人のわたしだということに苦笑してしまう。

それはさておき、文学でも絵画でもデザインでも、残されて伝えられてきたものを丁寧に読み解いていくと、時を旅するような楽しみを感じられる。
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2007年06月23日

Identity

昨年、コクヨがアクタスを子会社化することについて、記事に取り上げさせていただいたことがある。
昨今は、M&Aといった言葉もすっかり一般に浸透してしまうくらい、合併や買収が珍しくなくなった。三角合併の解禁による、外資参入を危惧しての合併なども多くなるのかもしれない。

合併について、批判的なわけではない。
それが必要であった場合、あるいはその方が良い場合、前向きに取り組むしかないのだと思う。
コクヨとアクタスの時にも思ったが、両者がそれぞれの良さを理解しあい、手をたずさえて発展できればと願う。

ただ、あまりにも多くなった合併に、関係ない位置にいながらも違和感を感じることもよくあることとなった。
例えば、川島織物の絨毯を、たまたま取り引きの多かったセルコンから取り寄せたりなどがあると、川島織物の工場見学をした時のことなどが頭をよぎり、それぞれの違いをやはり感じてしまったりする。
両社の発展であればそれでいいことなのだが、なぜか個人的には感傷的な気分が沸きあがってくる。

その企業が、はじめて"こうしていこう"、"こういうものを作りたい"と掲げた時の、その思いに集まった人の思いの塊は、どこでどう変化していくのだろう。
ものづくりの信念は、株式の計算で出せる答えではないはずだし、けれど先へ進むための掛け算・割り算に賢くなければ生き残れない・・・、そうやって変化を取り入れていくしかないのだろうか。

この問題は人の生き方の選択にまでつながって、しっかりとした立ち位置を、目を凝らして見極めることも突きつけられていくように感じる。
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2007年06月10日

デジタル変換

UA-1EX.jpg

ちょっと音楽なお話。

世の中にCDが出回ってからの長年、カセットテープに貯めてきた音楽を、さてどうしていこうかと思案しつつ、カセットはカセットで大事にしてきていました。
1本のカセットテープに、自分のお気に入りの曲ばかり集めたベスト・アルバムみたいなものをたくさーん作っていましたので、それはその頃の思い出も重なってくる音楽だったりで、アナログな音をアナログなまま大切にもしていました。(レコードも、これまた、別格で大切にしていたりするかもしれません。)

で・・・、ここにきて、今頃とは遅いなと思われるかもしれませんが、そのカセットの音をデジタル化することも本格的にやっておこう!と。
自宅のパソコン環境が、ここ1年くらいでそれに十分対応しきれるようになったというのもあります。(Windows利用者にとっては、今、過渡期じゃないかな。メモリーやらをハイスペックにしたXPは、使い勝手が旬な時期でもあるかも。)
そして買ったのが、写真のUSBオーディオ・インターフェース「UA-1EX」です。ローランドから出ています。
環境が整うと同時に、MP3プレーヤーで思い出の音楽を楽しみたいなと思う気持ちの度合いが強くなってきて、けれどまた改めてCDからMP3化するのもな・・・と思ったら、コレを使うことに辿り着いたというわけです。

なかなかの優れものです。もし、同じようにこれからカセットテープやレコードの音をデジタル化しようと考えている方や、ギターなどのご自分の演奏を手軽にデータとして保存しておきたいとか考えている方で、多少、音楽にこだわる方がいらしたらお勧めです。1万円ほどしますが、それなりのことが確実にできます。
いろんな方法を比較検討しましたけれど、ついてくるソフトが優れもので、WAVEからMP3に変換しなくてもダイレクトにMP3にできますし、音の波形を簡単に編集できてしまいます。例えば、曲の最後をフェードアウトさせたいものなんかも簡単に編集できちゃう。
肝心の音質ですが、CDをMP3にした時のようなクリアさはありませんが、カセットテープ側の痛みさえなければ、カセットテープを聴いていた時の音質からは、ほとんど遜色なく(デジタル化する時点で、当然アナログの音域より狭まるわけですが、)MP3プレーヤーでも楽しめる音質です。

時間のある時に、ちょっとづつ変換しておこうかなと。あと、そのうちお手軽価格の電子ピアノを買って(アップライトのピアノはあるのですが、)夜でも趣味としてのピアノを復活できるようにしようかな・・・とも考えたりなので、演奏を編集することなんかも考えてみたりしながらの作業は楽しいものです。


あっ、全くの余談ですが、写真に写っているデスク、このブログとかもその上で書いていたりするデスクですが、小学校1年生から使い続けている「くろがねの学習机」だったりです。
今でも十分、現役でがんばってくれています。
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2007年05月26日

かたちが心をつかむ

“心をつかむ”ということについて、最近考えます。

心という、一見、姿なきものを引き寄せるためには、どうすればよいのか。
誠意には誠意、以心伝心、そんな心と心の結びつきのような、はっきり目に見えるかたちとは違う世界で成り立つこともありますが、それに至るまでの段階では、見えるかたちがあって心が動かされる。
見えないものを動かすのは、見えるかたちあるものであるということ。改めて考えてみると、行動するということの意味にまでたどり着くように思います。
どういうかたちであれ、“具体性”の必要性を感じます。

夫婦間や恋人同士の話にもありがちなことですが、“ありがとう”と思ってはいても、それを言葉にしなければ伝わらない。

どんなに熱意をもってプレゼンしても、その内容の結果が具体的にイメージできないものであれば通らない。

心をつかむデザインというものも、“具体性”の塊かもしれません。“漠然となんとなくそうなった”で、成り立つなんてことはほとんどないのです。
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2007年05月12日

気品

上品さを表す言葉も色々ありますが、本物の“品”は、心に宿り、かたちを成すように思います。
例えば、どんなに品あるものだと言われるものでその身を飾っても、包み隠された中に品位ある心を身につけていなければなんにもならない。
それは、透けて見えてしまうものなのだと思います。

人の行動の“品”について考える時よく思い出すことに、太宰 治の「斜陽」に出てくる没落貴族である主人公の母の言動が描かれている中での、“おむすびがおいしいのは、人間の指で握りしめて作るから”と当時の上流階級の作法では考えられない手で食べることを何気なく行っても品があるというくだりがあります。
育ちからくるものだと言ってしまえばそこまでですが、これも同じような育ちなら誰でもできるというものではなく、おおらかに、それでいて気高く、美しく磨かれた心、精神が外に滲み出てのことだということを、作品を通しても感じるものです。
そういえば、「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラの母も、娘であるスカーレットがあこがれる貴婦人です。明日は母の日だということもあって、つながって思い出します。

自我に邪念・邪推、いろいろなものがあって、わたしも本物にはあこがれどもほど遠く・・・。


デザインにおける“品”も、どのような意味を持たせようとした心が注がれて、たどり着いたかたちなのかによっても変わるような気がします。
そうして出来上がったデザインを、どのように使われるようにしていくのか、どのように使うのか、そんな心のあり様がかたちの“品”をも左右していくのかもしれませんね。
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2007年04月15日

風林.jpg

其疾如風
其徐如林
侵掠如火
不動如山
難知如陰
動如雷震


その疾きこと風の如く
その徐なること林の如く
侵掠すること火の如く
動かざること山の如く
知りがたきこと陰の如く
動くこと雷の震うが如し


孫子の兵法。
戦国武将・武田信玄率いる武田軍の軍旗に使われたことでも知られる「風林火山」。現在、放送されている大河ドラマでも、武田の軍師として活躍した山本勘助の半生とともに、知られるところとなっていますね。ドラマでは、その原作である井上靖の描いた「風林火山」よりも若い頃からの山本勘助がフレッシュな魅力を華って登場していますが、これはこれでけっこう面白いと思いながら観ています。
山岡荘八の歴史小説「徳川家康」が、ビジネスマン(どちらかと言えば経営者向け)のバイブルのように言われ、ベストセラーとなったこともあったようですが、人の歴史の中から現在に伝えられる言葉や言動の中には、その背景を置き換えてみても学ぶところある意味深いものを感じること、多いように思います。
人の歴史にロマンあり。

少々、話は違いますが、
過去があり、現在があり、未来がある。
現在しか見えていなければ、大きなことなどやり遂せない。
現在しか語れない人は、大きなことを成し遂げたこともなければ、これからどうすればいいかも経験の無さから見えていないことが多いようにも感じられることがあります。
ビジネスであれば、本当に大きなプロジェクトなどに現在進行形で関わっている人は、現状をうかつには語れない人は多いと思います。
過去だけでも、現在だけでも、未来だけでもなく、理想や夢だけでもない地に足がついた行動には、どの時点への視点へも融通がきくような視野が必要に思えます。
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2007年03月16日

長期的展望における“遊び”

仕事において、大きなプロジェクトをはじめようとする時、その長期的な展望を考えながら、慌てず、騒がず、はしゃがずあることも、とても大切なことだと思います。
それでいて、続けるためのモチベーションも保てなければならない。盛り上げつつ、盛り上げるだけではいけない部分、その状況判断はなんらかの形でプロジェクトに関わる人に必要なことでしょう。

プロジェクトにも様々なものがありますが、世の中に前もって大きく宣伝して始めるもの、そうはせず、はじめてから軌道修正をできるようにしておくもの、そのプロジェクトの目的によって方法も色々です。
その方向性を、プロジェクトを進める核となっている人々が理解していれば、慌てることなく対処が可能です。

それが企業のプロジェクトであれば、その企業の方向性を信じて集まる人もあるでしょうし、人が中心であれば、人の考え方を信頼して集まる。
企業や人は信頼していても、考え方や立場によりそのプロジェクトには一致できないものがあって、参加を見送る人があることもごく自然なことだと思います。

自分が何かのプロジェクトに参加する時は、その関わり方にもよりますが、方向性や展開の仕方をある程度予測して判断します。軌道修正の可能でないものに参加するようなことは最初からしないでしょうし、プロジェクトの中心となる企業や人の意図をある程度探って、見抜くこともできる自信は多少なりとも持っているつもりです。かといって、それが間違っているとなった時には、自分自身も軌道修正を図ります。大人の仕事の集まりとは、プロジェクトへの信頼に基づいての、そういう自己責任も問われるものでもあるだろうと思います。


これ、最近あった超身近な実際の仕事に関わることとは、全く無関係なことで書いています。(誤解も招きかねないので、書いておきます。)
でもまぁ、何かをはじめようとする時には、最初の最初からうまくいくなんて思わない余裕、建築などで隙間として表現される“遊び”の部分は必要ですね。
自戒もこめて、思います。
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2007年03月07日

山のあなた

空070307.jpg

山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
噫、われひとゝ尋めゆきて、
涙さしぐみ、かえりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。

          カアル・ブッセ
          上田 敏 訳
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2007年03月04日

真実

人の人生は、いつ何が起こるかわからない。
予測不可能な分、楽しみもあれば、突然の不幸も起こりうる。

昨日早朝、ある人が天に召された。
このブログにもコメントをくださっていたような方だ。
これから、ご一緒に仕事をしようともしていた方だった。
前日、電話でお元気な声を聞いたばかりだった。
起こった出来事が、本当のことだとは信じられないような、
そんな突然の知らせ。
またお電話がありそうな、ここにコメントをくださりそうな、
そんな気がしてしかたがないでいる。

そして、もうひとつ、命が誕生しようとしている、
それを待ちわびている知らせも昨日あった。
今日にも生まれそうなその瞬間を待ちながらいる、
若いお父さんになる人の希望と不安。
光溢れる春の日の、幸福の瞬間がもうすぐ訪れることだろう。


今日のわたし、ピカソの絵のような仮面をいくつも張り合わせた、
そんな表情が人の目には映るのかもしれない。
心の底が自分にも見えない。
けれど生きるということ、命の尊さを、今日ほど考える日はない。
ある人を見送り、ある生命を待ちわびるこの日、
わたしはある年齢を迎える日でもある。

この偶然、喜びごとだけが本当のことで、悲しみはうそであったら、
どんなによいだろう。
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2007年02月18日

境地

無.jpg

“無”や“空”といった境地とは、どのような境地だろう。
果てしない旅の先にようやくたどり着く心の世界のようで、それでいて、最も身近な内なる世界なのかもしれないとも思う。

今年、恩師からいただいた年賀状に、宗教よりも深い、新しい思想というものの存在を、宗教という言葉を使わずに表現することを考えておられるといったことが書いてあり、昔の人が無や空と表現してきた苦心が、今になってわかるように思うと締めくくっておられたことが、どこか心に残っていた。わたしが教えていただいていた頃、某芸大の学長でもあった恩師であり、その後の歳月の流れを思っても、想像を超える熟考の彼方の岸辺にあるようなことだ。恩師の云わんとなさっているような学術的な意味合いもある部分にはとうてい考え及ばないのだが、“無”や“空”といったものが宗教を超える真理として表現もされてきた、その所以に、近づこうとすれば救いがあるような気がしている。

自分が正しいと思うことが最も成し遂げたいと思うことだとするならば、その成し遂げたいことは自我を遠ざけなければできないことかもしれない。正しいと思うことは、自らにとって正しいのではなく社会にとって正しいと思うことで、最近のわたしの場合、そんな部分が心を占めていることが多い。
本当に成したいことだけを成さんとするならば、簡単に言えば、社会的に偉くなるしかないのだが、心のあり様の徳といったものも最後に関わってくるのかもしれない。
実社会の現実は、それぞれの我の塊のようなものに満ち満ちていることは多く、それらに取り囲まれた時に自我が更に敏感に研ぎ澄まされていくとするならば、それはいずれ自らを突き刺してしまうように感じている。実社会にめぐらされた我というものから逃れたくてしかたがなくて、もがいていることが多いのだが、簡単に逃れられるものでもない。そこから身を守ることも、自らの中でたどり着く、無であり空であるような気がしている。

これは心のカタチであり、永遠のテーマかもしれない。
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2007年02月04日

真の美しい日本へ

先月末、新聞などで報じられていたが、邦画の2006年映画興行収入が、洋画を21年ぶりに上回る結果となったようだ。
ちょっと痛快なニュースのように感じている。
確かに昨今、話題になった映画にどんな作品があったかと思い浮かべると、邦画の題名がかなり多く思い出されるかもしれない。昨年の邦画での最大のヒットは「ゲド戦記」だったようだが、それ以外でも昨今、より高いストーリー性を持った邦画が話題を集めるようになってきている。少し前から、「たそがれ清兵衛」や「ALWAYS 三丁目の夕日」のようなヒューマニズム溢れる作品が製作され、高く評価されるようになり、それが昨年の結果にも結びついてきているように感じる。

この背景には、邦画の活躍だけではなく、洋画が右肩下がりであるという現状もある。今朝方見ていたTVでも取り上げられていたが、今、ハリウッドでは映画ファンドを介在させるシステム化の中で、利益と効率を重んじる傾向が強まり、企画とストーリー性を重視したものを創れない傾向があるようだ。
これについては日本のビジネス社会の中でも、似たような危険をはらんでいるようなことは多々あるように思う。
ものづくりの現場でもそうだ。効率化は金太郎飴的大量生産を促進させ、確かに経済効果もあることだが、根本的な中身重視が伴わなければモノだけは溢れるが欲しいものではないといったことにも繋がる。抽象的な表現に留めているが、これで失敗しているビジネスはかなりあるように思う。
同じようなものをたくさん産み出すのであれば資本力の強いところが勝ち残るが、それだけでは満足できない見る目というものも、モノが溢れることによって養われてもいるのではないだろうか。

邦画の興行収入の結果は、日本という国内文化にも目が向けられつつあるという喜ばしいことでもあるが、ストーリー性の欠いたものには飽き飽きしつつある人の心の中も映し出しているような気もする。

昨年末、“今、求められていること”として、地域社会と密着した野球クラブチーム「大家ベースボールクラブ」のことを例に取り上げさせていただいたが、その後、デザインの世界でも、これまでは海外と日本を比べて日本を卑下する傾向が強かったような方々も、ようやく国内に目を向けられ活動を始められたりしている。いささか現在の社会傾向に便乗した利益追従を睨んだ調子の良さも感じずでもないが(儲けることが悪いことだというのではない)、それでも大いに喜ばしいことだと思う。ぜひ力を入れていっていただきたいことだと思うし、今後の行く末を見守りながら、自らも参加できるようなことには力を尽くしたいとも思う。
結局のところ、どんなに隣の芝生が青く見えようとも、自分の国の文化を愛せなければ、海外の良さを見習うことなどできないのではないかと思っている。

日本、そしてその文化の中に秘められた豊かなストーリー性、それを活かして世界へ誇ることができるのも、私達、日本人でしかない。
posted by Rin at 10:54| Comment(4) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月01日

謹賀新年

2007謹賀新年.jpg

素晴らしい一年の幕開けでありますよう、お祈り申し上げます。

                                     Rin

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2006年12月31日

そぞろごと

そぞろごと.jpg

山の動く日来る。
かく云えども人われを信ぜじ。
山は姑く眠りしのみ。
その昔に於て
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女今ぞ目覚めて動くなる。

                  与謝野晶子 
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2006年12月25日

今、求められていること

仕事を続けていく中で、能力によってできる事とできない事というものもあるが、ビジネスとしてやる事とやった方がいいはずだけれどできない事もある。前者は個人レベルの問題だが、後者は所属しているところや仕事を請け負ったところの考え方に基づくことも多い。こんな悩みの尽きない方も多いのではないだろうか。

昨日の日曜日、某テレビ番組を見ていたら、日本人メジャーリーガーとして活躍しながら、日本の野球界にも貢献するための努力を続けている大家友和選手のことを取り上げていた。
大家選手についてスポーツニュースなどで名前は知っていたが、選手としてのみならない社会的見地に立った地道な努力を、それも実現化しながら続けている人であるということを、わたしは知らなかった。その活動には心を打たれるものがあった。
この5年ほどの間、彼はアメリカのメジャーリーグの球場へ、施設で過ごしているような子供たちを毎年招待していた。招待した子供たち一人一人とのコミュニケーションも持つようにし、その声に耳を傾けてもいた。
そして、野球界で社会人クラブチームが廃部に追い込まれる昨今の中、野球への夢をあきらめかけた人に少しでもチャンスの場をと、滋賀県高島市との協力体制という地域密着の形でのクラブチーム「大家ベースボールクラブ」を設立。クラブチーム維持のためには年間5千万かかると言われる、その数千万を彼が負担しているという。
クラブチームに所属する選手の方々も高島市内の企業に所属したり、チームとしても地域社会活動に参加したりしながら、地域に愛され、存続できる形を模索中のようだ。
それでもサッカー・Jリーグのように、地域クラブチームが昇格していけるような制度がない野球界では、選手のがんばりたいと思う心がなえてしまう現状もあるようで、野球界のあり方そのものにも大きな問題をなげかけてもいる。優秀な選手たちが日本を離れていく今こそ、プロ野球界が抱える問題の、目を向けてみるべき根本的な部分を、なんとか改善すべく努力を続けているのが、この大家選手の試みなのではないだろうかという気がする。
彼の行っている活動から考えれば、某IT企業元トップによる球団買収名乗り上げを引き金に社会が大騒ぎし、その果てに政界までがそのあり方をヨイショしていたことなどを思い出すと苦笑してしまう。

そして、野球界の抱える問題は、野球界に限ったことではないのだとも思う。
目先の利益を追求していく中で失われていくものの多さ。
本当に、今、求められていることは何なのか。
先を見越せば、いや、最終的に人のためになることこそが追求されていけば、多くの問題が解決されるのではないだろうか。けれど、世の中は後々には得られるであろう利益よりも目先の利益を追求し、望まれない姿になってきていること、そのことに気がつき始めている人も多いように思う。

デザインの世界は、こういったことへの影響力が、実はとても大きいかもしれない。
人が住まう場所、使うもの、すべてはデザインされたものであり、デザインするということは、良きにつけ悪しきにつけ人に寄り添ってあることに他ならない。
公共施設、大型施設などは、そのあり方で地域社会のあり方にも影響を及ぼす。
わたしの現在いる業界に関わることなどであれば、例えばGMS(general merchandise store)といわれる大型小売業のあり方が、今、瀬戸際だと言われているが、GMSが抱える問題は、そのやり方によっては数年後にモールと合わせた大型施設においても抱えかねない問題でもあるような気がしている。それぞれの都市のあり方、地域社会とのあり方、人の生活の変化や環境変化と共に考えていくことが、どれほど重要なことであるか、そういったことにどこまで切実に着目しているかで、生き残り伸びる企業とそうでない企業も分かれてくるようにも思う。
デザイン面では、例えばどこか他所の国のデザイナーがデザインした外装を真似たようなことを考えるよりも先に、問われるべきコンセプトと、それに則りはじめて考えられるべきトータルしたデザインもあるはずだろう。デザイン会社よりも、施設の経営者側で気がつきはじめ、変わり始めているところもあるようにも思う。

こうして書きながら、自らを省みたらどうかと言えば、言えたものではない。
けれど、今、社会で求められていることが、確実に変化してきているのは間違いなく感じる。
格差社会、高齢化社会、少子化、いじめ、凶悪犯罪、犯罪の低年齢化、偽装問題・・・。問題は後を絶たない。人が人を傷つけ、人が人を生きにくくする社会の歪みに、打ち勝って変えていくことができるのも、人でしかないのだ。人ごとでは済まされない。
一人一人の身近な小さな行動と、望む社会とはどんな社会であるかを、ささやかな日常でも具体的に考えてみることから始めてみても、けっして遅いことではないはずだ。

個人としての大家選手のような活動は並大抵のことではないが、社会構造そのものが悲鳴を上げながら彼のような行動も求めていることを、組織も企業も人も考えるべき時がきているように思えてならない。
posted by Rin at 22:24| Comment(6) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月23日

Merry Christmas!

2006クリスマス.jpg

少し早めですが・・・、

メリークリスマス!!
皆様に素晴らしい聖夜が訪れますよう、お祈り申し上げます。
posted by Rin at 09:18| Comment(8) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Awaking slowly

Awaking slowly.jpg

しばらくお休みさせていただく前に、少し目を患ったり色々あったりで、ご心配をいただいたりしましたこと、申し訳ございませんでした。
目の方はこの12月初旬に無事、手術を終わらせ、順調な回復をしております。
メールなどをいただきました方々には、お心使いに心より感謝申し上げます。
また個々にも御礼申し上げたいと存じますが、この場にてもお読みいただいていた方々に、ご報告と御礼を申し上げます。             
Rin


posted by Rin at 09:00| つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする