2006年10月14日

Be ambitious.

Boys, be ambitious. 
Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement,
not for that evanescent thing which men call fame.
Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.

少年よ、大志をいだけ。
お金のためではなく、私欲のためでもなく、
名声という空虚な志のためでもなく、
人はいかにあるべきか、その道を全うするために
大志をいだけ。



札幌農学校(現在の北海道大学)の初代教頭だったクラーク博士の言葉として有名ですね。

先日、TVドラマ「Dr.コトー診療所2006」を見ていましたら、コトー先生から、勉強のために島を離れて東京の私立中学へ進学していく少年へ宛てた手紙の中に、この言葉が使われていました。
いい手紙でした。

クラーク博士やこの言葉についても様々な説がありますが、純粋に心を打たれる言葉だと思います。
若い人々に、純粋に伝えられたら・・・、そう思う言葉です。

ただの理想とかではなく、デザインの世界もこれができる世界だと、そうあってほしいとも思っています。
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2006年09月03日

一期一会

ある晴れた日の昼下がり。暦では夏の終わりも感じ始める、澄んだ空気と青い空が広がるある日。
大きな大学病院の1階にある、中庭が一望できる食堂、その壁一面がガラスの窓際の席で、少し考え事をしていた。その瞬間もこの場所は、晴々とした空の色には関係なく、様々なドラマがあるような気がしながら。

眼のかすみを感じて病院を訪れ、いきなり手術が必要な病名を告げられた。手術すれば治るもので、今の医学からすると、それほど恐れる必要もない内容だからなのだが、普段から健康に自信を持った人間には俄かには信じがたいような驚きと、少し恐怖感も走る。
詳しい検査をするための目薬がさされ、その効き目が現れるまでの30分ほど、昼食をとることになった。

あまり食欲はなかったが、いかにも昔ながらの喫茶室にあるようなメニューの中にホットケーキを見つけて、それとホットコーヒーを頼むことにした。おそらくレトルトを温めたものだろう。ほとんど待つこともなく、差し出された。
普段ならぺろりとたいらげてしまいそうなホットケーキを少しづつ、食べるのか食べないのかもわからない感覚でフォークとナイフの先、いじりながら、大きな窓越しに見える中庭を眺めていた。
本当に良い天気だ。青い空の色も、植えられた木の緑の鮮やかさも、昨日と今日、何も変わらないのだろう。
変化していくのは、そこを通り過ぎる人の人生に起こる様々な出来事と、心の動きなのだろうか。

ぼっとしていると、ふいに声を掛けられた。小さくて、かわいらしいおばあちゃんだ。相席を申し出てこられた。他所の席が空いていなかったわけでもなかったが、断る理由もなく、かわいいおばあちゃんは目の前に小さく腰掛た。二人がけのテーブルに向かい合わせ、一期一会のほんの短いひととき。
おばあちゃんもホットケーキを頼んだ。

「昔ね、よく三越のレストランで食べたんですよ。」と、おっしゃる。
「北浜のですか?」そう尋ね返してみた。
「そうそう、よくご存知ですね。あのお店、なくなっちゃいましたね。子供のころ、母が食べに連れていってくれました。」
小さな、皺の沢山ある痩せた手で、静かにゆっくり、ホットケーキに蜜をかけた。
なぜだろう。ふと、泣けそうになった。自分の母のことも、頭をよぎった。でもここで、泣いてはいけない。
「三越、あと何年かしたら大阪駅にもできますよ。大阪駅の三越、見に行かなくっちゃですよ。」そんなことが口をついて出た。
おばあちゃんは、やさしく笑ってくれた。笑ってくれてよかった。
「そうですね、新聞で見ました。大阪駅にも出来るんですよね。じゃあ、見に行かなくっちゃねぇ。」

しばらく静かに向かい合わせ、ホットケーキを食べていた。
もうすぐ目薬の効きだす30分が経とうとしていた。
先に食べ終え、少し気になりながらも、
「では、お先に失礼します。大阪駅の三越、見に行ってくださいね。」
そう言って立ち上がると、
「それではその時に、またお会いしましょうね。」おばあちゃんは微笑みながら、そう言った。
小さな体の小さなお顔、皺がいっぱいのその皺も、とてもきれいに見えるやさしい笑顔だった。

あの時、不思議に、検査への不安は消えていた。
大阪駅の三越へ、わたしは母を連れて行き、おばあちゃんにも会いたいと、あの時、心から思っていた。
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2006年08月14日

呟き

私の耳は貝のからjpg

私の耳は貝のから 
海の響をなつかしむ

    ジャン・コクトー
    堀口大学 訳・月下の一群
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2006年06月29日

長い目でみること

物事、短期的に計画を立て考えるべきことと、長期的に考えてみた方がよいことがありますね。

人間の成長などに当てはめて考えると、爪は数日で目に見えて伸びるし、伸びたら切る必要があります。けれど、人が子供から大人になるには、二十歳が大人と考えるなら生まれて20年はかかるし、もっと個人差のある心の成熟みたいな部分にいたって考えると、それこそ人それぞれにかかる歳月は違うかもしれません。
考え方といった部分について、今日こう考えたから明日から変わるということもあるかもしれないし、でもまぁ、頭ではわかっても…みたいなことは案外あるもので、真の意味で身につくのはうんと先ということの方が多いような気はします。

具体的なことだと、試験勉強なんかもそう。どこかの学校へ入るために勉強しているという人は多いかもしれませんが、学校へ入ったらゴールじゃなく、人生は一生勉強とも言いますが、その先のその先のその先で、どんなものの考え方ができ、どんな実行ができる人間になれるかのため、本当は勉強していたりする気がします。
小さな日々の積み重ねの違いで、先の未来が変わることは間違いありませんが、一速飛びで大きな変化なんてことは起こらない。長い目でみることができるかどうかは、けっこう重要なことで、人の生き方や生き様にまで左右することが多かったりしますし、その人がその後残すものの違いにまでつながったりします。

デザインに関わることでも、明日から現実的に実行していく何かで変化することもあれば、かなり長期的な展望で見なければ変わらないようなこともいっぱいあります。
日本という国の抱える事柄なども、ひとりひとりの日々の積み重ねと、長期的な見方、どちらも大切だったりします。

人って、近視眼的に短期的に、物事をみてしまいやすいこと多いかもしれません。
例えば、昨今の株をめぐる騒動などでも、当事者も煽るマスコミも1年ほどの間で全てが一転したり。ネット上での人の考えの行き来なども、短期的な考えに陥りやすいところが多いように感じます。
声が大きな強烈な発信ほど、短期的な見方に偏りやすいことも多かったりします。
けれど、その時々の己の行動を見つめながら、日々の積み重ねの努力を怠ることなく、そして長期的に見れるかどうかの、このさじ加減、かなり大切であることは間違いなく、情報過多な時代の中、振り回されることなく振り回すことなくあることもまた、“大人”の示すべき道なのかもしれません。
よい手本というものは、無理やりつくってつくれるものではなく、自然に伝わるような中にこそ“真”のものがあるのかもしれません。
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2006年06月25日

癒し

花.jpg

自然の美しさ、清らかさ。そこに安らぎあり。
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2006年06月24日

次に向けて

サッカーは、とてもとても残念な結果となりましたね。
心から応援していたサッカーファンが意気消沈、悔し涙にくれる人も多かったことだろうと思います。
けれど、一番悔しい思いをしたのも、悔いが残ったのも、間違いなく選手の皆さんなわけで・・・。
この経験を、これからの日本のサッカーのためにぜひ活かして、世界へ向けてリベンジしてほしいと思います。


話は変わりますが・・・、
いろんなことを広く知りたい意欲は、様々な人のお話をお聞きする中で、どんどん深まっています。
何かひとつのことだけに止まったり、どこかひとつだけを中心に捉えたりはしたくない、そんな気持ちもあります。つながりは大切でも、それ以上への興味がつきるには、まだまだ早い自分自身を思うこの頃です。
ぱっと見た目より中身はより大事で、内容に興味が常に引かれていく、書き伝えられることもそんな風になれたらなぁと思います。デザインもそんな部分、大切かもしれませんね。

いやいや・・・、それってかなり大人になるということでもあるかも。
読み解くことも、書くことも、すでに大人であることも忘れないバランス感覚、養いたいものです。
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2006年06月08日

お絵かき

薔薇.jpg

昔は、趣味で水彩画などを、よく描いたりしました。
花瓶の花をスケッチしたり。絵を描いて過ごす時間、なかなかいいものです。
ですが最近は、それほどのゆったりとした時間がない・・・。で、そんな時間がないときの気分転換で、チャチャっと描けちゃうのがPHOTOSHOPといったソフトを使ってだったりします。CADで図面描いたりの合間、10分くらいの気分転換でもお絵かきできてしまう手軽さ。絵の具で手を汚すこともなく、後片付けの必要もなく。けっこう好きな気分転換方法です。上のものも、そんな感じで描いたもの。

“大人の塗り絵”が、ひそかにブームだそうです。
脳の活性化や、リラクゼーション効果もあるのだとか。
書店で、サクラクーピーペンシルとセットになった商品が販売されていたりします。手で塗ることが大切なのかもしれませんね、脳の活性化のためには。
あっ、塗り絵のための下書きをPHOTOSHOPでつくってみるの、いいかもなぁ。
塗り絵のダウンロードサイトもあるようですね。
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2006年06月06日

創造力を生かすための計画

大阪駅周辺は現在あちこち、再開発や新ビル建設の只中にあります。
駅周辺でのビルの高層化は、ますます進んでいくようです。
そこへ誘致されるテナントが決まっていて、入る施設の必要性や街の活性化、それらをすべて踏まえた上での開発である・・・、本当にそうあってほしいと思いながら、工事中の仮囲い横を通り過ぎていたりでもあります。

昔は、そこまで考えたことがなかったかもしれません。
高層ビル最上階のレストランでの食事や、展望台から眺める夜景、そういった場所で今でも楽しんだりもありますし、好きでもあるのです。
ただ、大阪の街を歩いていると、街としてのトータルした計画性、それがもっとあっても良いような、そんな気持ちがふつふつと沸いてくる時がなぜかあることも否めなかったりします。それは東京もどこも、もはや同じことなのかもしれませんが、個々ばらばらの開発をまとめることができたなら、街はもっと素敵になるのではないか・・・、そんなそれこそ個人の力だけではどうしようもなさそうなことを、今はただ、つらつらと書いています。

大阪で最も高さのあるビルのひとつ、WTC。未だ、日本全体でも5本の指に入る高層ビルではないかと思います。昔、携わっていた仕事の関係で、まだ出来上がる前のWTCのヘリポート部分、屋上の現場足場に上らせていただいたことがあります。地上256mの天辺、足場で鳶職さんがまだお仕事しているような時です。おそらく2度とない経験ではないかと思いますし、そこそこ大型の工事現場内、吹き抜け部分の足場や脚立に女性が上ることも本来は嫌がられる(実際、事故などに繋がっては大変ですから)ものですので、あの現場で最上部に上ったことがある女性というのも、他いないのではないかという気がします。あの時、上ってみることを許可くださった現場の方に、ずっと感謝していたりします。
ガラス越しではない高層ビルの頂上、WTCは大阪南港という海に面していますから、そこから海を眺めたわけです。とても美しかった。これは本当にそうでした。写真に残すことができなかったのでそれが悔やまれますが、心の記憶にある、そのWTCからの景色は、人間がものを創りだせる力を最大限に発揮している場所からのものであり、“自然”ではない場所であることを肌で感じるものでした。
ひとつのビルを建てることに携わった方々の力も想いも、並々ならないものがあるということも、わたしは肌で感じる機会をいただいたのでもあると思います。

そして、時を経て、思うのかもしれません。
創り出す人々の力を、無駄にしてはいけないのだということも。そのためにも、“計画”がいかに大切かということも。
WTCは、残念ながら現在、大手企業がテナントとして撤退後、大阪市がなんとか使うことで成り立っています。創ったからには、なんとかしていかなくてはならないのです。
先日少々記事にさせていただいた神戸空港などもそうです。創ったからには、良いものとなっていってほしいし、そうでなくてはならないはずです。

大阪の街の活性化は、実際、とても必要なことであると思っています。どのように開発されていくか、楽しみにしながら見守っているひとりでもあります。
そして、計画することも実行していくことも、また、その計画の重要性も、本当はここで書いたり言ったりできるほど簡単なことではなく、そのために今も必死に働く人々がいることを忘れてはならないということも思ってもいます。

府や市の力、企業の力、そして市民府民の力、その中のちっぽけなひとつであっても、この先なにかできることもないだろうかと、ふと漠然とではありますが考えることがあるこの頃です。
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2006年05月27日

大局

大は小を兼ねるとよく言われますが、
(兼ねない場合もあるかもしれない
けれど、)その逆は難しいなぁ・・・。

これ、ものの見方や考え方にまで
影響することみたいなんですね。
最近、このことをものすごく感じる
ことが多いです。

枝葉末節に気をとられ過ぎると、
根幹が見えないかもしれません。

表情の裏側にあるものを察すること
ができるかどうかも、それに繋がる
気がしています。
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2006年04月23日

裏側にある配慮や考慮

TVキャットウォーク.jpg

あるテレビ局のキャットウォーク(スタジオ天井裏の点検などのための通路)。スタジオ内への様々な設備がめぐらされている。裏方があってこそ、そして観る人があってこそ、表舞台が成り立つ。

それと同じように、使う人があってのデザイン、読む人があっての読み物、ではないのだろうか。こうも言える。使う人があってこそのデザイナー、読む人があってこそのライター。どう判断するかは、使い手であり、読者であり。
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2006年04月18日

日々の中で

ある専門誌の編集長が編集後記で書かれていた言葉に、『五感を頼りにもっと「好き」だけでものづくりできればこの国は更に楽しくなっていくはず』といった内容のものがありました。
この前に書かれた文章を載せずではなんのことか意味が見えないかもしれませんが、日本人のセンスは信頼できるといったことをおっしゃらんとしていると読み取れました。
内心、ここで書いてきたことと重ねて(関係ないことでしょうが)、ちょっとうれしく拝見していたりでした。

あるブログで、読みたいのに読むと辛くなる言葉が多く感じられて、なかなか読むことができなかったブログがあったのですが、3段飛ばしで階段をいっきに上られたような、開眼されたような空気を感じて、読むことが楽しみになっていたりするところもあったりします。全くやり取りがなかったところですので、そんなことを思っている読者がいるなどと、まったくご存知ないことなのですが、お伝えできる機会があったらなどとも思ったりです。

そんなことが、まだいくつかあったりもします。

それと反対に、言葉を真剣に捉えようとすると沸々と疑問が沸き起こってしまい、勝手に一人、暗中模索に考え込んでいたりもしばしばです。
新しい発想を追い求めての本質からは外れた言葉に酔った言葉などや、営業的な面があまりに見えすぎているものなどは、いざという時に本質にせまって語られても容易には信じがたくなってしまったりという心理が働いていたりもします。

それをすべて、おもしろがれるくらいになる必要があるのでしょうが・・・。

著名デザイナーでメディアをきらう傾向のある方は多く、なぜなのかも見えてきましたが、かといって残すためにも広めるためにも、伝達の言葉はやはり大切で必要で、言葉に対する誠実な対応(例えば非常に基本的なことだと思うのですが、せめて、事実と誤った記事などはすぐ訂正をいれるくらいの心がけみたいな誠実さなど)は、デサインを語る方々に求めたいし、わたし自身も心がけなければならないと感じていたりです。
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2006年04月15日

信憑性

影と灯.jpg

現代、娯楽の追求は、商売に結びつき、
真実の追究は、それと相反することが多い。

最近、よく疑問に感じること、考えさせられる
ことでもあります。
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2006年03月31日

思考

思考.jpg
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2006年03月29日

お誘い上手

スイーツショップ.jpg

おなかは空いていて、でも時間のない時は、なんて罪なお店・・・。(笑)というのは冗談ですが、最近のスイーツカフェなどの店頭の魅せ方は、ホント上手なところ多いですね。

販売しているカウンターのショーケースには本物のケーキが美味しそうに並んでいて、そして壁面ケース一面にケーキが並んでいたりもありますが、あれは偽物だったりします。でも偽物と思えない精巧さ。とっても美味しそう・・・。すごい技術の進歩ですよね。
あと、ケーキをつくったり切ったりしているところを、外から見せる演出のところも増えています。見せられることで、匂いはしないのに、甘い香りが漂ってきそうに感じてしまう。視覚的効果バツグンです。
甘いもの好きには、お店の中からケーキに“おいで、おいで”されてるような、呪文をかけられてしまいます。


話は変わりますが、スマップの新曲は“世界に誇れる日本女性への応援歌”だそうです。でたでた!“世界に誇れる日本”、しかも“女性”ときました。(今朝の「めざましテレビ」での話題でした。)
最近の、日本の回顧を促す売れている本なども、なにも、ご年配の方々の間でだけ売れているわけじゃなかったりです。こと「ラスト・サムライ」以降、売るという部分では、けっこう仕掛人もいそうだなという感じもありますが、まぁ、こういう風潮はメディアの作戦勝ちになればなったで、よい風潮かなとも思わなくもなくです。日本のデザインを見直す上でも、よい影響もあるんじゃないかと。
ここではブームに関係なく(ブームより先に思ってましたが)、過去にさかのぼり“世界に誇れる日本のデザイン”のよさを見直したいと思ってきておりますが、それは一時のブームには終わらせたくないものです。

女性についていえば、スマップの場合、あまたの日本女性ファンに支えられてもいますから、最近のちょっとしたブームをうまく取り入れて、上手に女性をよい気分にさせておこうといったところでしょうか。さすが、お上手です。
日本経済において消費が冷え込んだ時も、比較的元気に消費を支えていたのは女性だったりもします。
スポーツ界でも、日本女性の活躍がめざましかったりですから、“世界に誇れる”もウソじゃないですしね。これが一番、大きな影響力かもしれませんね、日本を見直す(さらに+女性)ってことをブームにまでもっていこうとする発想に。

男性の方々も、身近な女性をそんな歌やスイーツでも小道具にねぎらっておくと、よいことあるかもしれませんよ。
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2006年03月25日

現場好き

『事件は会議室で起こってるんじゃない!現場で起こってるんだ!』
ご存知の方も多い、ドラマ「踊る大捜査網」の青島刑事のセリフです。

刑事さんの現場100回じゃありませんが、これ、いろんな物事に、案外言えることなのかもしれません。
例えば、ものづくりの現場でも。

わたしは、現場好きです。
今はオフィスでの図面描きの仕事が多いのですが、これも一種の、図面などを描く現場かなぁと思っています。
そして、建築、内装の工事の現場も好きでした。
女性の発言としては、珍しいのかもしれませんが。安全靴に安全帯、ヘルメットの出で立ちで、髪の毛の中まで埃だらけになって駆けずり回ったりですから。忙しかった頃は、終わりかけの現場と新しい現場が重なって、作業着のまま大阪と京都と奈良の間を行ったり来たりしたこともありました。当然ながら、そんな時は始発出かけの終電帰り続き。事務所に泊まり込んだこともあります。
けれど、きつい、危険、汚い・・・なんて世間一般に言われるような中での、その瞬間にしか見られない裏側は、百聞は一見にしかずで、そして問題点もこの時点で解決しなきゃならないことはたくさん出てきます。土工さん、ボード屋さん、大工さん、電気屋さん、空調屋さん・・・、まだまだ様々な職種の方がひとつの工事現場を支えていますが、そこでのコミュニケーションと連携プレーの末、ようやく形が見えてくる。自分で描いた図面が形になり、それをその現場に携わってくださった様々な人々と一緒に、喜びあえる瞬間でもあります。
大きな現場も小さな現場も、一大イベントです。色々、おもしろい現場話なんかも、そのうち書いてみようかとも思ったりです。

それ以外でも、いろんな現場を見てきました。
グラフィック広告の制作現場。わたしが知っているのは、平行定規が並んでいたような頃ですが、ちょうどMacを世の中に普及させようとする現場も垣間見てきました。以前、その時代の流れをちょっとだけ記事にしたことがありましたが、わたしのいた場所で、大日本印刷や凸版印刷の上層部の方へ、Macをどう活用していったらよいかのプレゼンテーションをしていましたので、ほんと、肌で時代を感じとった一人でもあります。
あと時代の流れで言いますと、LEDで、ちょうど白を加えてフルカラーにできるようにした時の、よく街角で見られる大画面の製作にも少々立ち会ったりもしました。製作の工場現場です。スタッフの方々と一緒にですが、ある物件の制御用の基盤を組み立てたこともあります。

書くことの世界での現場だと、取材でしょうか・・・。他にもあるよ、という声もあるかもしれませんが、これもほんのちょっとだけですが、経験したことがあります。医科歯科大の学会に取材者として出席し、そのテープ起こしをしたなんてこともありました。うんと若かりし頃、人手が足りない中、駆り出されたようなものだったのですが、その時は必死でしたが、よい文章とはおよそ言いがたい出来でしたし、その原稿を書き上げた直後、緊張の連続だったためか熱出して、2日ほど寝込んだなんてこともありました。
寝込んだことはさておき、取材して見えることって、やはりたくさんありました。その時の自分なりに。
わかりやすいお話に例えるなら取材ということではなくても、例えば、いろんな方々のブログで語られる体験談は、やはり生の声として参考になることが多いですよね。
生の、実際の、肌触りのようなもの、語られなくても見えないようなものが見えてもくるのも、現場ならではな気がします。

現場には、ほんとうのこと、が隠れてもいます。
それを、それぞれの現場にいる人々が、どのように受け止め、どう行動するかで、問題が解決されたり、時によってはおざなりにされてしまったりも起こります。
実際の問題点が一番見えているのも、現場ではないでしょうか。
書くことでできることは、それを繰り返さないよう、見えやすくするためのお手伝いかもしれません。もちろん、それだけではありませんが・・・。
そして現場にあっては、常に問題意識をもつこと、相談すること、我を忘れず初心に立ち返ってみること、そんなことが一つ一つの問題解決の糸口にもなるかもしれません。


ほんと、いろんな経験をしております。
器用貧乏かもしれません。(苦笑)
年齢を経てきて、こうして書いたりする中でようやく、この経験から見えることが役に立てられるかもしれないなぁと、最近思っています。
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2006年03月20日

根本 U

デザインは、デザイナーのものではない。
なにかのデザインがあったとして、
そのデザインを伝え広めた人のものでもない。

ひと目ぼれで、あるいは永く使ってみて、
良いと感じた人にとって、
良ければ良いデザイン。
理屈じゃない・・・。

著名なデザイナーのものでも、
無名なデザイナーのものでも。

論じられることは、後からついてくる。
何か違う・・・。


そう感じる今日この頃。


デザインは、デザイナーのものではない、けれど、
良いものがデザインされていくために、
デザイナーは無心に自分を信じなければできないときがある。
本当に・・・、デザインをしていくことに、
元気を得られるようなもの、与えられるようなものが
読みたくなってきた。

ものについての良し悪しだけでなく、
デザイナーの心が置いてきぼりにならないものも、
あっていいのではないだろうか・・・。
デザイナーが伝えたい言葉を、正確に伝えられる、
そういうものも書きたい・・・。
そんな力がほしい。
posted by Rin at 02:47| Comment(5) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

根本

たまたま、わたしが見てきた周りが、常にそういう人々が多かったというだけなのかもしれないが、自分の会社に対しては無頓着でも、得意先に対しては、その要望に対して真剣に取り組む人々が多かった。
でも考えてみると、得意先に対して一生懸命であれば、それが自然に会社のためにも、自分のためにもなっている。
広告の世界でも、建築の世界でも、内装の世界でも・・・、制作の現場側では、そんなインハウスデザイナー達が多かった。今もそうである。
プロダクトでも、得意先が一般ユーザーに変化するだけで、そう変わりはないような気はする。
ただ会社によって、できることの範囲などが制限されてくる場合がある。それが所属するということの壁であったりで、だがこれも人によってはクリアしてしまう人もある。
独立された個人でも、その実力に応じて、できることの範囲は違うだろう。
また、できる範囲もすべて縛られず、自分で考えたい人々が、独立されていくようにも思う。

バブルがはじけてここ数年、デザインの業界でも、倒産の憂き目を見た企業はたくさんある。得意先の事情により、やった仕事の支払いがなされなかったといった経験を、他の業界と同じように経験している会社もたくさんあることだろう。
リストラもそうである。
デザインは、それを必要とする側の経済状況によっても、できることできないことが変わってくる。社会の経済状況とも密接に絡んでいる。
コストの削減につぐ、削減。デザイナーが望む望まないに関わらず、それが要求されることは多々ある。
社会的な知名度とも絡んでくることもあるかもしれないが、・・・だが、これらの諸問題は、インハウスかそうでないかに関係なく、起こる問題でもある。
こんなことも、ほんの一部分。

インハウスかそうでないかは、それほど大きな問題ではないように思っている。インハウスであれ、独立であれ、できる人はできるし、やる人はやる、できない人はできないし、やらない人はやらない。
どちらの場合も、問題点が、見えている人は見えているし、見えていない人は見えていない。
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2006年03月15日

できることから始めてみる

インハウス(企業)デザイナーであるか、フリーの(独立している)デザイナーであるか。
インハウスデザイナーという言葉も最近になって使われ出した言葉で、様々な方々の間で語られる部分でもありますね。先だって記事にさせていただいたシンポジウムでも、話題になっていた内容でもあります。

いろんな経験をしてきて、いろんな方々とお会いもしてきて思うことですが、インハウスかそうでないかの間に感覚的なレベル差というのは、そうはないように感じています。根本的に、デザイナーとして目指さなければならないことは同じだからです。デザインとアートの違いが、そこにもあるように思います。
デザインは商業活動の一環に成り立ち、ユーザーのために行われるという部分が大きい。もちろん、家庭内でデザインにこだわってみるといったこともありますが、それはまた別次元で語られるお話です。

先日から就職に悩む方のお話を聞く機会がけっこうあるのですが、デザイナーの問題に限らず、仕事をするということでの姿勢や生き方は、今までもそうでしたがこれからの時代は特に、企業人であるなしとかではなく、個人一人一人の能力をいかに伸ばせるか、それが最も重要であるように思います。人を伸ばせられる企業は企業としても伸びるし、自分を伸ばせる人はどこに所属するかではなく、何かしらの形で社会に貢献していくことができます。
これ、かなり大切なことです。

もうひとつ、
身近なことを見直してみることを社会でお勧めしていく中に、日本の中でのデザインのありようを変えられる力も潜んでいると感じることがあります。
美しく住まうこと、美しいデザインを創り上げることへの第一歩も、身近なこと、できることから始めてみることは、とても意味があり、誰でも参加できることです。
誰でも参加できる、自分にもできる…、そう思うこと、思わせることができる活動は、社会的な効果も最も高いように思います。
デザイナーは化学者ではないから、今、世の中にある素材を駆使して、様々な形を創り出します。
その感覚は、デザイナーでなければ出来ないことではないのです。
たとえ100円ショップで買ってきた花瓶でも、そこに花を一輪かざりテーブルに添えてみようと思うような心を育むことから始めてみることが、飾ってみた人がいずれもっと素敵な何かに出会えることに繋がり、さらに社会でのデザイン意識や美しい日本の姿にも繋がっていくのではないかと、わたしは思います。
そんなささやかなことから、素敵な自分創りも始まっていくのかもしれませんよね。
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2006年03月13日

HAPPY?

今年1月から始まったドラマが、最終回を迎えつつあるようだが、録画したりしながらも見続けていたものに、松本清張・原作の「けものみち」があった。

ドラマはドラマとして原作とは別物語として見ていれば、家族団欒で見る時間帯のものとして、おもしろい成り行きにした脚本だと思ったが、やはり原作とは明らかに違う。
なんであんな風に変えてしまうのか…、やはりテレビの場合ある程度、ハッピーエンドにしなければならないのだろうか・・・。

わたしもハッピーエンドなストーリーは好きである。だけどなぁ、松本清張の作品と言えば名作で、あの話が名作たらんとするところは、主人公の悲劇的末路と、どこまでも悪党の巧妙さにある気がする…。白昼の死角。なさそうで有り得る、真実味ある事件であったり人間心理であったり、それらが折り重なって主人公の悲劇は成り立っているし、名作なんじゃないだろうか。

この手のハッピーに終わらせは、いろんなドラマであったが、NHKで再放送されていた山本文緒・原作の「ブルーもしくはブルー」にしても…、少々考え込んでしまった。
原作と、ハッピーへの捕え方が違うように思える。

「風と共に去りぬ」の続編小説が出た時に読んでみて感じた違和感も、なんとも言えなかった。なんでわざわざ、レット・バトラーが戻ってくるなんて、付け加える必要があるんだろうか…。あれを読んで、戻ってきたらいいのになんて、安っぽく恋愛沙汰で捕えるには本当に名作すぎる。壮大な歴史を背景に繰り広げられる人間模様。気高き人々。それにあの最後は、アンハッピーというものではない。ただの恋愛小説ではないのだ。わたしは、そう思う。

ヴァチカンにあるミケランジェロの壁画の裸体画に腰衣を描いて、後世に“フンドシ画家”と言われた画家がいたそうだが・・・、名作に付け加えて台無しになることは多々あるようにも思う。

そういえば今、「ダ・ヴィンチ・コード」が文庫化されたので遅ればせながら読んでいるが、映画化されたものとの違いを、これもとくと拝見したいと思っている。

繰り返し述べておくが、わたしはハッピーストーリー好きである。だけど、自分に置き換えてみての場合のハッピーなども、少々包み隠しておくぐらいの方が魅力的かなとも思っている。
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