2007年05月27日

光と影、そして風

ヨドコウ迎賓館.jpg

芦屋の山手にあるヨドコウ迎賓館を初めて訪れたのも、緑の美しい5月の晴れた日のことでした。もう10年以上前のことです。

静かな室内、光と影、そして小窓から吹き抜けていくそよ風を、頬にかすかに感じられる。緑に囲まれた環境の中、その自然と一体化する静かなひとときが、今も変わらずに存在していました。

フランク・ロイド・ライトの建築に心惹かれた空気感が、そこにはあります。


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2007年05月06日

進化するディテール

新国立美術館.jpg

六本木を散策しながら新国立美術館へと近づいていった時、表参道の日本看護協会ビルを思い出していました。
印象に残るディテールは、細部から全体を変化させていくだけの構想を広がらせるのかもしれませんね。
黒川紀章デザイン。

日本看護協会ビル.jpg
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2006年10月13日

過去と未来をつなぐ城 ― 京都駅ビル

京都駅ビル1.jpg

京都駅ビル。1997年、建築家・原広司氏の設計によって建てられたものですね。
もうすぐ10年が過ぎようとしていますが、未だにいつ訪れても、未来感漂う圧倒される場所だなぁと思います。いにしえの都の玄関口に、未来への扉を開いている城がある、そんな感じです。
ここを訪れると、建築って、人って、すごいことできるんだ・・・そんなことも改めて思ったりもします。わたしには、ちょっとしたカンフル剤だったりします。

この計画が進んでいた頃は賛否両論が飛び交っていましたが、今や、この近未来的な建築物も京都という街の一部となっていっているのだと思います。
京都駅ビル2.jpgお気づきでした?烏丸通から車で京都駅へ向かってくると、ちょうど京都タワーが駅ビルに映りこんで見えるんです。街が映りこみ、いつしか街に溶け込んでいく。なんだか、そんな願いも込められているような気がしたりです。

建てられた当初、竣工直前に大林組の現場監理をなさっていた方に隅々までご案内いただいたことがありましたが、当時はただただ感心しながらお話をお聞きしているばかりで、あの頃、こんな風に書きまとめることをしていれば、いろんな裏話も鮮明にご披露できたかもしれないのですが、記憶だけでは間違ったことを載せてしまってもいけませんので・・・。記録し残すこと、大事ですね。

駅ビル西側を上りきったところから、夕日を見ることができました。
京都駅ビルから見る夕日.jpg 

京都駅ビル3.jpg
路と路を結び、風が通り抜けていきます。

様々な人間ドラマも生まれる駅。
そして、歴史ある都市のこれからをも見すえていく駅。
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2006年06月24日

マイ・アーキテクト

『マイ・アーキテクト/ルイス・カーンを探して』 、大阪・十三にある第七藝術劇場での最終日の金曜日、見てきました。
小さな映画館内、満員の状態。おそらく、建築関係者の方、多かったのではないかと思います。
いい映画でした。理屈抜きに。

父親探しの旅の末に見出すものは、父の残した、ひとつの国の人々の暮らしや文化をも変える、美しい偉大な建築の中にあった父の姿。宗教や国を超えて、完璧を追い求め、建築を成し遂げるために多くの人を愛し、身近な愛を欲した。ただならぬ精神力の裏にあった、一見いびつに見える交差する家族関係と、そこで貫かれ注がれた父への女性達の愛情と、父の家族への愛。

美しい建築を映し出す映像と共に、交差する人間関係と、息子がたどり着く建築が語りかける父親の姿が、切なく心を揺さぶります。
何かを超越してしまった先に見れる、本物の美が、ルイス・カーンの建築には宿っているということを、息子であるナサニエル氏が見出すことにより意味深くなる。この作品の意味深さも感じます。


それにしても今週は、家族や自分やデザインや・・・、いろいろなことを考える週でした。
サンタクロースについて書かせていただいた記事。案の定、伝わらなかったであろう部分も、あるブログを拝見して感じました。
わたしは仕事以外の自分を語ることをほとんど避けてきていますが、サンタクロースのお話をお聞きした後、デザインを結びつけて考えた時、どうしても自分を出さねば考え方を書けない部分がありました。でも、ほんの一部分しか出せなかった。当然、伝わらないだろうと思います。
サンタが母であったと書きましたが、わたしにとって母だけが頼りであったということでもあります。わたしは父のことをほとんど覚えていません。父はビジネスではちょっとだけそれなりのことを成していた人で、中央公論などの取材を受けたりすることもあった、そんな父しかわたしは知りません。
父と母が幼い頃に離婚して以降、現在に至るまで父に会ったこともありません。母がわたしを会わせないようにしていたわけでもなく、母から父の悪口ひとつ聞いたこともありません。そんな母の努力の甲斐あって、仕事における父について、どこか尊敬すらしてきました。父から、わたしを育てていく上での経済的援助などなくてもです。
母はわたしを鍵っ子にすることなく、家でトレースをしたり、手作りのアクセサリーを作ったり、様々な工夫と努力の上、短大まで出してくれました。本当は4年制の大学へ行くことも検討しましたし、高校の美術の先生には美大を進められ、担任の先生からは国立を受けることを進められもしました。奨学金を受けることも検討しましたが、現在の収入や離婚時の慰謝料まで尋ねられ、それを書類として母に書かせねばならないことで、母には何も告げず断念しました。

その後の人生、今、たいした収入もない無名の一人間として働き、母と自分の生活費を稼ぎ出しています。そう、でもわたしは幸せ者です。上を見ても、下を見ても、きりがない。そして、すべての今ある自分は、結局のところ、親のせいでも社会のせいでもない、誰のせいでもない自分自身によるものだと思っています。

デザイナーは、人と自分を比べたがる人が多いと感じます。デザインに関わる人々の、ブログ上などで著名な人による強い口調の批判の数々に感じてきたことは、その人の、より優れた人や自分より良い学校を卒業した人、あるいは自分より良い仕事を得ている人への嫉妬などからきていたり、自分自身を世間に売り込むためであったり、自分へ向かせるためであったり、そう感じるものが本当に多いと感じてきました。そうではない時もあっても、少し前まで、そう感じることの方が圧倒的に多かった。それが見えない人も多いでしょうし、本当の的も得ていれば批判に頷く人も多いことだろうと思います。
けれど、批判と批評は、本当に違います。その中心に自分がある限り、批判はいつか天に吐いたつばが自分に降りかかるように、本当の意味での美しさなどとは縁遠いところにたどり着く。人を欺けても、自分はごまかせない。
その程度の批判が大手を振って、すばらしい社会批評のような顔をしていることが、本当に多かったと感じてきました。大の大人の、わたしより人生の先輩の、わたしなどより遥かに稼ぎも多いであろう社会的な評価を受けてもいる男性の言葉、書いていることの裏側で痛いと叫びながら何を訴えたいのか、わたしはそういった感情には理解深いやさしい人にはなりきれない自分を、デザインが語られる中に見つけてしまった自分がいやでもあります。
こんなことを自らをさらけ出してまで書くことも、やめたい。


マイ・アーキテクトは、そんなことを感じるわたし自身のちっぽけさも見透かしてしまう、超越した世界の、人間と建築の関わりを物語ってくれました。
デザインの本当の美しさとは、どこにあるのか。
デザインにおける社会貢献とは、なんなのか。本物とは、なんなのか。
そして、人の幸せとは、なんなのか。

デザインを語ることの難しさも感じます。
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2006年02月12日

日本橋

日本橋1.jpg「COREDO日本橋」を訪れた時に撮った『日本橋』の写真。

昨年12月26日に行われた小泉首相と奥田碩日本経団連会長の会談で、日本橋の伝統的な景観を取り戻すため、橋をかぶさる形で走っている首都高速道路を地下にもぐらせるなどして高架を撤去する構想の実現へ、前向きな姿勢の発言が交わされたということがあった。

現在の写真のような状態から、近い将来どのように変わるのだろうか・・・。期待したい。

日本橋2.jpg 日本橋3.jpg
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2006年01月29日

大阪府南警察署難波3丁目交通警察官詰所

1月27日に行われた大光電機且蜊テによるJCD商環境フォーラムでの話題の中心は、昨年のJCDデザイン賞2005で大賞を受賞した「大阪府南警察署難波3丁目交通警察官詰所」についてであった。

難波三丁目交通警察官詰所.jpg大阪・御堂筋最南端のなんば駅前、ちょうど新歌舞伎座の御堂筋を挟んだ向かい側に、この小さな建物はある。大阪府南警察の、交番とは少々用途の違う警察官が常駐はしない、御堂筋パレードなどが行われる時のみ使用される詰所だそうだ。
わたしも時々、横を通ることがあったが、中がどのようになっているかといったことも謎めいた、警察の何かなのだろうけれどなんだろう?という不思議さを実は感じてもいた。
黒い円い光沢あるタイルに覆われたひとつの塊が家型となっている。出入口の扉、窓、とてもシンプルな作りなのに、存在感があり、存在感があるけれど周囲を邪魔しない佇まい。御堂筋歩道のいちょうの木の下にあって、その家型が妙に人の心に懐かしさをおこすものでもあるかもしれない。扉と歩道側の窓は鏡面のステンレスとなっており、中は見えずに周囲の環境が映りこんでいる。扉は歩道が続いているような錯覚もおこし、この建物の存在感を周囲と一体化させる役割を果たしている。

JCDデザイン賞2005で大賞を受賞されたこの建物について、設計された米正太郎氏は、最初からこの家型にしようと思っていたわけではなかったそうだ。最初のプランでは陸屋根(フラットな屋根)で考えておられたのが、いちょうの木の存在による常駐はしない詰所での落ち葉処理の問題もあり、家型に変更することとなったという。その他、歩道にあるということ、歩道を挟み銀行の前であることといった環境から、中は見えないように、そして威圧しないもの、そのような様々な条件が出された結果が、この小さな建物には集約されている。
だが、これが結果的によかった。プランの変更が余儀なくされ、落ち込む気持ちに鞭を打ち、環境に合わせて煮詰めていった最終形は、大賞を受賞するものとなった。
写真は、数日前の夜に撮ったものである。この写真ではわかりづらいと思うが、写真やその内容について、設計なさった米正氏ご自身のブログにも掲載されておられるので、そちらもぜひご覧いただければと思う。

101回コア・トーク.jpg昨年度のJCDデザイン賞審査委員長でおられたデザイナー・飯島直樹氏のお話によると、この建物が大賞を受賞するまでの審査で、最後まで競い合っていたものがあったそうで、それが佐藤オオキ氏率いるデザインオフィス“nendo”による「絵本の家」だったそうだ。そして、「絵本の家」は最終的に優秀賞となった。
2つの作品はどちらも公共施設で商業施設ではないが、JCDデザイン賞の範囲も商環境にとどまらない、デザイン全体を考えるようになってなってきているということだった。どちらも、それぞれの環境の中での建築のあり様を問うもののように思うが、それが今、時代の中でデザイン全体において見直されていることでもあるかもしれない。商環境を“コミュニケーションスペース”と飯島氏は表現され、またパネラーの岩本勝也氏は“人を幸せにするためにデザインは存在する”と語っておられた。

環境と人と、対話するデザイン。
「大阪府南警察署難波3丁目交通警察官詰所」には、中が見えないことによる、もしかしたらお巡りさんが今いるかもしれないという周囲への見えない保安になったり、不思議さからステンレスの窓を擦ってみる人がいたりの、これもまたユニークなコミュニケーションも生まれているそうだ。
警察署の建物であるという規律に満ちていそうなはずの建物の姿が、このデザインによって、また新しいデザインの楽しさも教えてくれ、人と環境との対話をも生み出してくれているのかもしれない。
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2006年01月03日

The Staten Island September 11 Memorial

2006年新春のご挨拶後、初の記事をどのようなものにしようかと、少し考えました。

The Staten Island September 11 Memorial
TheStatenIslandMemorial.jpg 2001年9月11日に起きたアメリカでの同時多発テロによる、スタテン・アイランドの犠牲者を悼む記念碑を建てるにあたって国際コンペが行われ、見事選ばれたのが、日本人の青年建築家・曽野正之氏による“ポストカード”であったことは、まだ記憶に新しいことだと思います。
記念碑のオープニングセレモニーが行われたのが、2004年9月11日のこと。
今年で、多くの犠牲者を出したテロからは5年の月日が流れようとしていますが、犠牲者の遺族の方々の傷が癒えるのは、いつのこととなるか、本当に癒えることはないのかもしれません。

TheStatenIslandMemorial2.jpgこの記念碑は、葉書を267倍に拡大した“世界一大きなツイン・ポストカード”の、その対となった内側に、切手にみたてた267人の被害者の横顔と名前を刻んだ作品です。
ちょうどマンハッタンを向かいに臨むことのできるその場所から、魂の眠る横顔は揃ってマンハッタンを眺めており、白い鳩のように空へと羽ばたいていきそうなポストカードと共に、魂も羽ばたいていくかのイメージをもたらし、遺族の方々の心を癒し慰めているようです。

このアメリカでの、いわば国民の心を慰めるべくして建てられたモニュメントが、日本の、それも30代前半の若き建築家の手に委ねられたものであったということに、わたしは深く感動を覚えました。
建築家が成せる世界とは、他国のこのような場にもあるのです。

耐震偽造事件の波紋によって、建築士という資格のあり様なども様々な話題にさらされるという、建築という職業を誇りとしてきた人々にとって悲しむべき、そして襟も正される、まだその只中にあるときかもしれません。大なり小なり、なんらかの影響を受けられている建築士の方、あるいは勉強中の方も多いのではないでしょうか。

都市計画・まちづくり・環境への配慮、ひとつひとつの家族の生活を支える家づくり、・・・建築の成せる社会的貢献の姿を、今一度、日本の社会の中にその信頼とともに呼び起こせるのも、建てられる建物ひとつひとつの姿にあります。

曽野正之氏.jpg 昨年たまたま、帰国しておられた曽野正之氏と、内々的なものとして行われたセミナーと食事会を兼ねた場で、お会いできる機会がありました。

若さと夢と希望に満ちた清々しいご様子は、もちろんひとつの大きな仕事を成し遂げられた人の姿でありますが、平等に与えられた成し遂げるための努力を怠らない方だということが、何より大きなことのように、その時お聞きしたお話の中で感じたことでもありました。

この記念碑は、世界の平和への、願いも込められたものでもあります。

国を越え、そのものの示すかたちで、訴えかける・・・。
それが可能な場に、すべては、存在するのです。


記念碑関連リポートサイト:
JDN From NY 『スタテン・アイランドの記念碑の国際コンペ』 
曽野正之氏サイト:MasaSono.com
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2005年11月26日

羽田空港・第2旅客ターミナルビル

羽田第2ターミナル1.jpg日曜日の朝5時半ごろの羽田空港第2旅客ターミナルビル。デザイナーズウィークで訪れた東京から、朝一番(AM7:00)の羽田発伊丹行きで関西へと帰ることにしたため、早朝の人がまだほとんどいない空港を観てみることにしたのだった。

【住所】東京都大田区羽田空港3-4
【TEL】03-5757-8111(総合案内)
【営業時間】主な商業施設:AM10:00〜PM8:00

【併用開始】2004.12.1 <内外装 新築>
【経営者】日本空港ビルデング
【設計】松田平田設計・NTTファシリティーズ・シーザーペリ共同企業体
【協力】
照明計画:内原智史デザイン事務所
旅客サイン計画:アイ・デザイン
環境演出計画:田口デザイン・観光企画設計社・シーズ環境開発企画
アートディレクター:千住 博
【施工】
A工区:鹿島・熊谷・奥村・錢高・飛鳥特定建設工事JV
B工区:大成・大林・ベクテル・東急・前田・日航建設JV
C工区:清水・西松・安藤・三井住友・佐藤特定建設工事JV

【関連HP】
http://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/


羽田空港ターミナルは、今年2005年5月で開館50周年を迎えた。
ターミナルの歴史が、写真とともに「BIG BIRD」公式サイトに紹介されており、その時代背景もうかがえる。そんな歴史に新しい物語を加えるべく、第2旅客ターミナルは、昨年2004年12月1日に開館した。

羽田第2ターミナル2.jpg東京湾に面したこのターミナルの、デザインの基本モチーフは「海」だそうだ。中央吹き抜け部分は壁面全体がガラスで覆われ、その中を円形の空中回廊がめぐり、シースルーエレベーターで各階が結ばれている。この明るく開放的な大空間の天井からは、画家・千住 博氏の作品『滝のオーロラ/AURORA OF WATERFALL』がかかげられている。この作品は巨大な和紙に描かれたものだそうだが、まるで海の上での本物のオーロラや、あるいは波や水しぶきを思い起こさせる。その他でもこのターミナルでは、千住氏の作品をいくつか観ることができる。

エアラインカウンターの並ぶ2階チェックインロビーは、プロペラをモチーフとした張弦張り構造とのことだ。空港という未来感あふれる構造体の中で、このロビーの床には暖色系のテラゾーが用いられており、アースカラーの色合いが旅人の心に安心感も与えるよう感じられる。

羽田第2ターミナル3.jpg空港ターミナルは、旅客を目的地までスムーズに誘導するための機能性と、待ち時間を過ごすための快適性が求められる。ゆえにターミナルでの商業施設機能は、とても重要な要素である。そして、ここで過ごす時間の多様な行動に対応すべく、‘魅力ある都市気分の創出’をテーマに、より利便性・快適性を高めた商業施設計画が目指されたそうだ。カフェひとつとっても、早朝から営業しているところ、ネットカフェ、スモーキングラウンジを備えたものと、店舗数も豊富でバラエティーに富んだものだ。待ち時間も、目的に合わせてお茶を楽しめるようになっている。
またそれらの店舗について、ターミナル内に備えつけられた情報マガジン「BIG BIRD PRESS」でも紹介されており、利用時の参考にもできる。


早朝という本当に人影の少ない静けさの中、これはちょっとした驚きだったが、数組の家族連れやカップル以外では、わたしと同じく女性ひとりで待ち時間を過ごしている人が何人かおり、男性のおひとりはほとんど居なかった。
日曜日早朝の空港は、女性のひとり旅に向いているのかもしれない…。

羽田第2ターミナル4.jpg 羽田第2ターミナル5.jpg
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2005年10月17日

安藤忠雄氏 美しい大阪・水の都へ
― サントリーミュージアム[天保山]

デザインや建築についての社会性・公共性というもの、‘なぜ、デザインするのか’‘なぜ、建築するのか’といった本来のその活動の根源となるようなことについて、大阪デザイナーズウィークのフォーラムでのお話を拝聴することで自分なりに考え、今まで何気なく眺め通り過ぎてきたようなものごとについても、様々な角度で考えてみようとするきっかけとなった。

安藤忠雄氏という世界に翼を広げられている日本の偉大な建築家の、その数々の作品の中で、ここでは、‘大阪’を舞台としたフォーラムでのお話に、その建築の存在がより添っていると感じる「サントリーミュージアム[天保山]」を取り上げさせていただいた。


【住所】大阪府大阪市港区海岸通1-5-10
【TEL】06-6577-0001
【営業時間】
ギャラリー:10:30〜19:30 ※最終入場は19:00
アイマックスシアター:11:00〜20:00
ミュージアムショップ:10:30〜19:30
カフェ・ソラーレ:11:00〜21:00(平日)10:30〜21:00(土日祝)
スカイラウンジ:11:30〜21:00
【休館日】
毎週月曜日(祝日・振替休日の場合は開館)・12月31日
※ギャラリーは、上記以外に企画展示の入れ替えのため休館する場合あり。

【開設】1994.11.03
【経営者】サントリー
【設計】安藤忠雄/安藤忠雄建築研究所
【施工】竹中工務店・大林組JV

【関連HP】http://www.suntory.co.jp/culture/smt/

「サントリーミュージアム[天保山]」が、大阪・南港の天保山ハーバービレッジに開設されたのは、1994年11月3日のこと。サントリーの創業90周年事業として、今は亡きサントリー元会長・佐治敬三氏の直々の依頼により、安藤忠雄氏がその設計を行ったものである。

フォーラムの中で、次世代のデザイナー・建築家たちへのメッセージとして、“一心不乱の情熱があれば、人を納得させられる”といったことの例に、このサントリーミュージアムでの佐治氏とのやり取り(オープニングレセプションで佐治氏にトイレの場所を尋ねられ、とっさには答えらなかったら、設計したのにわからないのかとのお言葉があったといった、全体を捉えて一心不乱に打ちこんで無事ミュージアムは出来上がり喜ばれ、その一心不乱ゆえに…の、安藤氏流のユーモアも含めたエピソード。ここで無粋ながら念のために付け加えておくが、ミュージアム内のトイレなど、当然ながらあるべきところにきちっと設計されている。)をお話されておられたが、そのお話も楽しく心に残っている。

今でこそ大阪湾岸添いは、北港・南港など各地開発も進み変貌を遂げつつあるが、近代化の波の中、一時は忘れかけられていた、本来豊かな水資源を誇る‘水の都’でもあった大阪を取り戻す社会環境構築への突破口として、さらには大阪湾から瀬戸内海へとつながる文化圏の構想拠点として、このミュージアムは創りあげられたと聞き及ぶ。
建築家としてできること、そこには、ひとつのミュージアムを建てるということへの情熱にとどまらない、その存在をもって社会をも動かすという使命を課し、多くの多くのものを手掛けてこられた世界的建築家はそれを背負い、成し遂げてこられたのだと改めて思う。

このミュージアムのデザインは、海から見たその存在感と、内部から海を見る時の美しく魅せる一体感、そして、ミュージアムとしてアートといった展示品が主役となる場にあっての‘引き算’(わたしはそう感じる)の構造による美しさ、これらを多角的に捉えなされている。
階段状の広場として整備された親水護岸は、人と海との接点を断ち切ることなく海との連続性をつくり出し、そこを訪れる人々に日々時々の海の情景を語りかける憩いの場となっている。

サントリーという企業による民間のミュージアムが、民間という枠を越え、現在は、東京・福岡では都・市の美術館で行われていたアール・デコ展(ブログ記事2005年09月14日参照)が開催されているなども、この事業が大阪湾岸の公共的ひとつの革命事業でもあった、その結果とも言えるのではないだろうか。

サントリーミュージアム1.jpg サントリーミュージアム2.jpg サントリーミュージアム3.jpg サントリーミュージアム4.jpg


なお、フォーラムの時、お話にあった『桜の会』と『瀬戸内オーリブ基金』のバナーをつくり、当ブログに貼らせていただいた。ここでささやかながらでも、ご興味ある方の目にとまれば幸いである。
posted by Rin at 23:47| Comment(6) | TrackBack(1) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする