『マイ・アーキテクト/ルイス・カーンを探して』 、大阪・十三にある第七藝術劇場での最終日の金曜日、見てきました。
小さな映画館内、満員の状態。おそらく、建築関係者の方、多かったのではないかと思います。
いい映画でした。理屈抜きに。
父親探しの旅の末に見出すものは、父の残した、ひとつの国の人々の暮らしや文化をも変える、美しい偉大な建築の中にあった父の姿。宗教や国を超えて、完璧を追い求め、建築を成し遂げるために多くの人を愛し、身近な愛を欲した。ただならぬ精神力の裏にあった、一見いびつに見える交差する家族関係と、そこで貫かれ注がれた父への女性達の愛情と、父の家族への愛。
美しい建築を映し出す映像と共に、交差する人間関係と、息子がたどり着く建築が語りかける父親の姿が、切なく心を揺さぶります。
何かを超越してしまった先に見れる、本物の美が、ルイス・カーンの建築には宿っているということを、息子であるナサニエル氏が見出すことにより意味深くなる。この作品の意味深さも感じます。
それにしても今週は、家族や自分やデザインや・・・、いろいろなことを考える週でした。
サンタクロースについて書かせていただいた記事。案の定、伝わらなかったであろう部分も、あるブログを拝見して感じました。
わたしは仕事以外の自分を語ることをほとんど避けてきていますが、サンタクロースのお話をお聞きした後、デザインを結びつけて考えた時、どうしても自分を出さねば考え方を書けない部分がありました。でも、ほんの一部分しか出せなかった。当然、伝わらないだろうと思います。
サンタが母であったと書きましたが、わたしにとって母だけが頼りであったということでもあります。わたしは父のことをほとんど覚えていません。父はビジネスではちょっとだけそれなりのことを成していた人で、中央公論などの取材を受けたりすることもあった、そんな父しかわたしは知りません。
父と母が幼い頃に離婚して以降、現在に至るまで父に会ったこともありません。母がわたしを会わせないようにしていたわけでもなく、母から父の悪口ひとつ聞いたこともありません。そんな母の努力の甲斐あって、仕事における父について、どこか尊敬すらしてきました。父から、わたしを育てていく上での経済的援助などなくてもです。
母はわたしを鍵っ子にすることなく、家でトレースをしたり、手作りのアクセサリーを作ったり、様々な工夫と努力の上、短大まで出してくれました。本当は4年制の大学へ行くことも検討しましたし、高校の美術の先生には美大を進められ、担任の先生からは国立を受けることを進められもしました。奨学金を受けることも検討しましたが、現在の収入や離婚時の慰謝料まで尋ねられ、それを書類として母に書かせねばならないことで、母には何も告げず断念しました。
その後の人生、今、たいした収入もない無名の一人間として働き、母と自分の生活費を稼ぎ出しています。そう、でもわたしは幸せ者です。上を見ても、下を見ても、きりがない。そして、すべての今ある自分は、結局のところ、親のせいでも社会のせいでもない、誰のせいでもない自分自身によるものだと思っています。
デザイナーは、人と自分を比べたがる人が多いと感じます。デザインに関わる人々の、ブログ上などで著名な人による強い口調の批判の数々に感じてきたことは、その人の、より優れた人や自分より良い学校を卒業した人、あるいは自分より良い仕事を得ている人への嫉妬などからきていたり、自分自身を世間に売り込むためであったり、自分へ向かせるためであったり、そう感じるものが本当に多いと感じてきました。そうではない時もあっても、少し前まで、そう感じることの方が圧倒的に多かった。それが見えない人も多いでしょうし、本当の的も得ていれば批判に頷く人も多いことだろうと思います。
けれど、批判と批評は、本当に違います。その中心に自分がある限り、批判はいつか天に吐いたつばが自分に降りかかるように、本当の意味での美しさなどとは縁遠いところにたどり着く。人を欺けても、自分はごまかせない。
その程度の批判が大手を振って、すばらしい社会批評のような顔をしていることが、本当に多かったと感じてきました。大の大人の、わたしより人生の先輩の、わたしなどより遥かに稼ぎも多いであろう社会的な評価を受けてもいる男性の言葉、書いていることの裏側で痛いと叫びながら何を訴えたいのか、わたしはそういった感情には理解深いやさしい人にはなりきれない自分を、デザインが語られる中に見つけてしまった自分がいやでもあります。
こんなことを自らをさらけ出してまで書くことも、やめたい。
マイ・アーキテクトは、そんなことを感じるわたし自身のちっぽけさも見透かしてしまう、超越した世界の、人間と建築の関わりを物語ってくれました。
デザインの本当の美しさとは、どこにあるのか。
デザインにおける社会貢献とは、なんなのか。本物とは、なんなのか。
そして、人の幸せとは、なんなのか。
デザインを語ることの難しさも感じます。