2007年05月05日

SKYLINE

スカイライン50周年.jpg

好きな人にはたまらないであろう展示、ずらっと並んだ日産・スカイライン。
そして、ずらっと並んだ、それぞれのスカイラインと同時代のレディースファッション。(そんなだったっけ?と、少々?な部分もありますが・・・。)

スカイライン-ファッション時代.jpg

車が男性にとってのファッションの一部でもあるということを、改めて思う展示ですね。
日産・スカイライン生誕50周年を記念して、東京ミッドタウン内で開催されていたものです。

それにしても、50年の歴史の中でのデザインの変化、興味深いです。
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2007年04月28日

彷徨えるデザイン

衣食住、人が人らしく生きるために必要とされる最低限の条件からはじまる事柄ですが、デザインはこれらについて、いかに生きやすく使いやすくするかの模索から始まった行為ではないかと思います。
そんな原点から、生活への潤いを創り出すプラスαの要素が加わり、ある時は国と国、宗教と宗教の対立抗争などで持てる力を発揮するための道具を産み出すような行為などにも加わり、平和で物が溢れる時代の変化の中にあっては、心の内の表現のようなアートの世界への入口の扉をも叩かんとしています。

東京で、いくつかの展示会を見てきました。
デザインとは何ぞや、その問いに対する答えにつまるような、そんな時代になりつつあるような気がしました。本当はそうではないのかもしれませんが、表現者としてのデザイナーの意識が、どの方向性へ進んだらいいのかを試行錯誤しているように感じたのです。
東京ミッドタウンのデザインハブで行われていた企画展で、年代ごとにずらっと並んだ日本のプロダクトデザイン。そして、チョコレート展。青山でのSENSEWARE。
すでに使いやすさにおいて整理されることが繰り返されてきたようなモノたちへ、より進化を求められるデザイナーの行くべき先をはっきりと見出している人は、それほど多くはないのかもしれません。

デザインにおける、わかりやすさとは、万人にそのものの持つ意味がわかりやすいということにあるのだと思います。例えば、白い冷蔵庫といった家電がわかりやすくてよいとされ買われるのは、白さやシンプルさがどのような部屋にも合わせやすいと万人に簡単に想像がつくという意味によるものです。白くてシンプルなかたちであるからではないのです。
かたちの単純明快さが万人にわかりやすいかと言えば、それは少し違うように思います。単純なかたちが、もし表現者の心の内から発せらた感性の次元のものであった場合、伝わる人には伝わるし、伝わらない人には伝わらない。そういうものではないでしょうか。それが複雑なかたちや表現であれば、なおいっそうそうなります。その次元は、そのかたちから放たれるエネルギーが美であったり、力強さであったりすれば、アートの領域へ入るようにも思います。

以前、TVで放送されていたある番組で、チョコレートをコンセプトにイマジネーションの世界を広げるということについて、安藤忠雄氏が深澤直人氏に、“皆に理解をされようとすることは絶望的ですね”といったようなことを言っておられ、深澤氏が苦笑いしておられたことがありました。お二人の間だからいいようなおっしゃりようですが、あながち、万人の声と重ならないことでもないのです。
けれど、今を生きるデザイナーの創作活動に、チョコレート展で展開しているような発想力は、必要とされるところにデザインの領域がきていることもあるのだと思います。
深澤氏のプラマイゼロにも応用されている部分でもあるのだと思います。
そして、その展示で、それでもやはりさすがだと思ったのは、生活者の視点としてのデザインを、深澤氏はご自身の作品においてどの内容のものにも忘れてはおらず、デザインとアートのギリギリのラインでの鬩ぎあいの中で、デザイナーとしての意味づけができる部分を確実に残されていることを感じました。

21_21の中、これからも使われていくものとして、チョコレート色のスツールがいくつか配されていました。これまでなら、チョコレート色ではなく、ダークオーク調色とでも表現されたかもしれません。
展示会のためだけではないデザインとしての意味合いが、このスツールには生まれていました。深澤氏の展示作品の中には、こういった要素が含まれていたようにも思います。

万人に向けること、と同時に様々な場面の要求に応じられること、多様化していくデザインを取り巻く時代の流れの中、“何が求められていて、そのかたちが必要であるのか”の意味だけは、見失うことなくあることもデザイナーがデザイナーたるための砦なのかもしれません。
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2007年03月19日

裏側にある時間

TV局スタジオ工事jpg

写真は、あるテレビ局の、スタジオ内の工事を行っていた時のものです。
テレビに映る撮影セットがこの中に組まれ、そして撮影が行われます。見ているテレビドラマ、その撮影が行われるためだけにも様々なセットが造られて、長い撮影期間を経てようやく見ることができるわけですが、それ以前に、撮影できるようにするための場所づくりにも、長い年月がかかっているわけです。

そのテレビ局の新社屋工事というプロジェクトに多少なりとも関わったのですが、この写真のような段階になるまでの、一番最初の旧社屋のスタジオ現場の調査へ行ったのが、写真の時より3年前のことでした。
おそらく局の方では、それよりさらに何年か前の時点で計画を立てていたことでしょうし、物事にもよりますが、それくらい1つのものを完成させるまでには、それなりの時間がかかることもあるということです。
例えば、六本木ヒルズの開発のことなど思えば、これなど、まるで短い期間のものです。
そして、きれいに見える映像の裏側には、本当に多くの人が関わり、様々な仕掛けが施され、見えないところの苦労の大きさは見えている部分ではわからないものです。
それは大きなことだけではなく小さなことでも、実際に行っている人々が、一番大変なのです。

何かを成し遂げるためにあきらめないでいることの大切さ、成し遂げたいと思う物事の内容にもよりますが、今日思ったら思ったことがすぐその通りになるなんてことはないということ、それでもあきらめないこと、時間がかかることもあるということ、そんなことが少しでも伝わればと思って書いてみたりです。
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2007年03月01日

ロングライフデザイン

最近、“ロングライフ”について考えることが多くなりました。私的な身近なところでは、自分の母などもよい年齢ですし、今後、どう支えていくかなどは課題であったりもします。また仕事においても、高齢化社会対策やユニバーサルデザインといったことで考えることもしばしばあります。

そうした中、“ロングライフデザイン”という言葉を、ネット上の辞書などで検索してみました。直訳すれば、“長持ちするデザイン”というわけですが、よくよく考えてみるとそう単純なことでもない。長く拝見しているブログで、ロングライフデザインについて考察されていらしたりの内容がとても興味深く、さてどうだろうと検索してみたのですが、この言葉、意外にも出てこないのです。Wikiにも掲載されていない。
ロハスは出てくるのに、です。
グーグルなどで検索すると最初に出てくるのは、さすがと言いますか、やはりナガオカさんのところです。次がグッドデザイン賞。
そして、思いました。言葉の内容は、本来は広く一般的であることのはずが、言葉自体はまだまだ、デザイン関係者の方々などの間での認識に止まっていて、だからその内容への認識もまだ、特別の範疇にあったりする、・・・のかもしれないということです。

厳選されたモノとしてのロングライフデザインと認識されるモノ、それは素敵で、特別でもあります。けれど、それがもっと一般に根づいてほしいという意図は、この言葉の裏側には大きくあるだろうと思っていたりです。
そうして始まる活動もあるのかな・・・とも思ったりです。

ロングライフデザイン、奥が深いです。モノの機能とデザインは切り離せない部分がありますが、ロングライフデザインと考えた時に、機能と切り離されて受け継がれるデザインもあったりする。飽きのこない家電の色彩や形状、CIなども含めた特色などが、そんな部分かもしれません。

人も長く生きたい時代、モノのあり方も長く受け継がれたい時代。そこに地場産業も含まれるようにも思います。
そして、もっともっと一般に溶け込んでほしい“認識”でもあります。
全国の百貨店に、そのコーナーがあったっていい。

ロングライフデザインはこれからも課題でもあり、その最後の方程式は次世代へ宿題として受け継がれて、やはり課題になっていくのかもしれませんね。


(PS.どなたか、Wikiにも素敵な説明を書きませんか?)
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2007年02月22日

背景の上に成り立つ

ちょっと前まで、所謂おしゃれなデザインされた小物雑貨などは、少々特化されたインテリアと雑貨を扱うようなお店に並んでいたように思う。だが最近は、そんなお店の種類も増え、さらに100円・300円均一のようなところでも、それなりにおしゃれと感じられるような商品を扱うようになってきた。
文具やキッチン雑貨など、何か欲しいと思った時の購入の選択肢は、ものすごく多くなったように思う。

デザインにおしゃれ感をイコールさせる人は、未だに多いように思う。だが、それだけがデザインではない。それだけがデザインではないということを、有識者であるデザイナーの方々は、どこかで講演などがあるたびに一度は語っておられるように感じる。
デザイナーとデザインを売り物にするために仕掛ける人々の間で、デザインを理解するということの認識の差が案外大きくあるように感じられてしまうこと、その隙間を埋めることがデザイン界にとって結構重要なんじゃないかと思うことがある。社会がデザインとはなんぞやと考えるきっかけをつくる窓口が、いつまでたっても、“おしゃれである=デザイン”だけに興味を持ってスポットを当てているのでは、デザイナーの社会的意義が見失われてしまうのではないだろうか。

古い旅館を再生されたあるデザイナーの方が、大変な手間をかけ整理し空間をデザインしたが、できる限りデザイナーが手を加えたことを感じさせないようにデザインしたと語っておられたことがあった。空間に存在する時間軸の大切さを思ってのデザインということだったが、こういったことの重要性は、一般的に語られやすいデザインのおしゃれさからくるインパクトなど以上に、あらゆる場所に存在するデザインの重要性でもある。
そんな部分にも力をいれ、心を砕き、デザインされたものもたくさん存在するのだ。

都市では、街にあふれつつあるおしゃれデザイン。
それだけに消費者の目が必ず向くとは、限らないこともある。
同じ通りに数店のドラッグ店が建ち並ぶ激戦区で、おしゃれ感が高いデザインが前面に出たお店とそうでないお店、どちらが売れているかといえば、圧倒的にそうでないお店であったりすることもある。おしゃれ感が高いデザイン性の高いお店は、そのデザインを全国で統一展開しているようだが、地域によって異なる集まる消費者層の心理を見極められていないとも言える。
そうでないところがデザインをしていないかと言えば、そこにもデザインの力は存在している。

いろんなデザインのカタチがあり、その背景がある。
背景の上に成り立っていること、その内容がより重要なデザインの理由だ。

一般的に語られやすいおしゃれなデザインされたもの、おしゃれさにもいろいろあるが、デザインされたことを感じさせすぎないデザインの魅力も、もっと世の中に浸透していってほしい。
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2007年02月10日

先見の明

最近、このブログで取り上げたことが、後で各種新聞の特集ネタになっているようなことも見かける。
デザイン関係者の方が書いておられるものは、けっこういつも目を通しているが、このブログに限らず、ブログが先に情報や考え方を提供していて、新聞・雑誌が後追いになっているようなこと、よく見かけるように思う。
以前、“デザインを語ると社会も動く(かも?!)”という記事を書かせていただいたことがあるが、編集者の方々などがネット上でネタ探しをしている姿が、かなりリアルに思い浮かべられる今日この頃かもしれない。

ところで、今月15日に創刊されるイギリスの雑誌『Monocle』で、サッカー元日本代表の中田英寿氏が編集者として編集会議に出席しているそうだ。
『Monocle』の編集長は、英デザイン誌「Wall Paper」の創始者としても知られるタイラー・ブリュレ氏とのこと。ブリュレ氏と言えば、日本の文具業界力結集の文具、Craft Design Technologyを仕掛けるお一人でもある。日本に対する造詣が深い方でもあり、創刊号では日本やアジアの特集記事が予定されていたり、日本人の漫画家による漫画の連載もあるようだ。ごく普通の雑誌編集での視点とは異なる新たな視点が、中田氏などの起用によって開かれるのかもしれない。そこには、実際に様々な場所において経験してきたこと、見てきたものからわかることが存在するのではないだろうか。

情報はぐるぐる巡り共有化され、焼き直しされ、そうしてこのようなブログも成り立っているのだが、それにしても、日本をなぜか日本のデザイン界以上に海外でお先に高評価なんてことや、ネットの方が視点が新鮮なんてことでは、もう終わらせない時代になってほしい。
実際の経験と身近な観察あってこそ、先見の明も生まれるというものだ。
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2007年02月05日

敷地を読み取る重要性

何かの折にふれ、表現こそ違えど繰り返し書かせていただいてきたことかもしれないが、大型の建築物といった施設を創りあげるにあたって、最も重要であると思っていることは、“敷地を読み取る”ことだ。単純なカタチの問題だけではない。その周辺環境へ与える影響や、そこに住む人々、集う人々の暮らしとの関係性や、数年後、何十年後の先にも良い影響を与えながら残し得ることができるのか、不変と変化、その両面を捉えるような視点を持って、その敷地が何を、どのような形を必要としているのかを総合的に考えることの重要性である。
これは、このブログを続けてきた中で、より一層強く感じるようになったことである。
本来なら当たり前のことのようにも思えるこのことが、そう簡単なことではない現状によって、街のいたるところが埋められていっているのかもしれない。多くの企業による開発で起こっている問題点があるとすれば、そのほとんどが、このことがおろそかにされてきた結果であるとも思っている。
それに気がつき始め、根本的な見直しを少しづつでも始めている企業もあるようにも思う。

以前、大阪・南港のWTCに仕事で関わって、そして年月を経て感じることとしても書かせていただいたことがあるが、建ててしまったならば、なんとかして使っていくことを考えていかなければならないということがあるのだ。スクラップ&ビルドを繰返すために大きな資本を投じるなどは、あってはならないことのはずである。
それだけに一番最初の段階、敷地を読み取ることが、その建物の命運を分ける重要性を帯びている。

このブログを通しても様々な施設を訪れ、いろんな角度から施設を見るように努めてきたつもりなのだが、優れた建築家などがその施設のコンセプト部分にも関わって創り上げられた優れた施設は、それぞれの敷地を読み取り上げた中から生まれた無二のものである。
無二の中に同じ要素を含むこともあるかもしれないが、同じ要素の中に差別化が存在するようなものではない。ここに、けっして他では真似のできない、知識と技術力が存在するのだと思う。同じ要素の中に差別化が存在するものは、一つの例さえ手にすれば、ある程度の資本を持った企業であればどこでも真似ができるだろうし、すでに現状そんな繰り返しによって創られた街が、今、危機に瀕してもいるのではないだろうか。

このブログを単なる商業施設めぐりの一環として捉えて読まれる方もあり、確かに今年最初にイオンのNSCを取り上げさせていただいたりで、一見、それぞれの情報源という要素が強いかもしれないが、なぜNSCを取り上げさせていただいたかには、迫られている社会変化の必要性をそこに顕著にみることができるからという部分もあってのものだったりする。情報をまとめるだけであれば、誰にでもできることかもしれないし、それだけであればあまり意味をなさないかもしれない。
簡単なように思えることが情報の積み重ねの先にようやく見えることもあるという部分に、ここを続けることの意味も見つけたいと感じるこの頃である。ビジネスに関する部分はあっても、ビジネス以前の重要性をここでは追い求めてきたし、これからもそうありたい。

最後に、今一度述べておきたいが、敷地を読み取ることをおろそかに創りあげられるものは、いずれ淘汰されるようなものでしかないように感じている。
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2007年01月19日

動き出す方向

今年最初のブログ記事に、イオン豊中緑丘ショッピングセンターを取り上げさせていただきましたが、やっぱりという感じで、今日の繊維新聞の1面にイオンさんのLSC(ライフスタイルセンター:地域住民を顧客に想定した、オープンモール型の中規模ショッピングセンターのこと。アメリカで富裕高齢者層向けに開発が始まったもの。)開発についての記事が掲載されていました。
1号店は宮城県塩釜市に今春オープンのようですが、これまた豊中緑丘と同じマックスバリュを核店舗にするそうです。
周辺環境から考えても、あのNSCでの考え方も発展させてLSCに繋げる方向で事が動いていたりして・・・なんてちょっと思っていました。さっそく表面化してきたようです。

ライフスタイルにこだわる方向性は、デザイン性の高さも必要になってくるはず・・・。
大手チェーンストアも変化の時、それとセットになって、良くも悪くも大きな流れの変化も加速していくかもしれません。良い方向へと変化していってほしいですね。
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2006年10月14日

問われる言語

表現するための手段において、2次元と3次元の間を埋めることができるものが言語かもしれない。

だが、中途半端な理論は、中途半端なパースに似ている。
表現しきれない。

言語の使い方も、目的に合わせた使い方が必要であるし、理論の構成もしかりであると思う。何を目的とするのかによって、そのセンスも問われる。
そして、難解であってもわかりやすくあっても、真理を突いていなければ意味がない。難解なことを難解に解いていけば真理が導き出されるかと言えば、そうではない。どうも、この部分についての誤解をたまに感じられるため、あえて書いておく。

柄谷行人氏の哲学論の中に、デザインと言語の関係性にも関わる部分で、昔ちょっとおもしろいと思って読んでいたものがあった。そんな中に少し触れられていたことに、諸科学の発展を可能にしてきたものは、厳密さではなく、あいまいさであったといったことが理論だてて書かれており、妙に納得したことがある。そのことと、誤解を生むずれも少し似ている気がする。

(この書いている目的はいかに?!
あまり意味なし。一般的でなし。)
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2006年10月05日

見た目以上に大事なこと

哲学する秋。もの思う秋。

・・・なんて言うほどのことはないのですが、実はまだ、片目が非常に見えづらくて、そういう状況になって初めて気がつくことや、見えなくて見えることがあったりな今日この頃です。
だいぶ慣れてはきたのですが、利き目が日々見えづらくなってきているので、かなり視界が悪くて気持ち悪い。さりとてメゲてもいられません。こんな時こそ、心の目は見開いておかないと・・・。
(本当はこれをご覧になった方にご心配をおかけしてしまったり、余計なお気を使わせてしまったりがありますし、わたしの場合は片目は見えていますし、手術を受ければ(わたしの目と年齢に合わせたものを使っての手術が、もう少々先でないと準備ができないため待っていたりです)見えづらい方の目も完治するようですので、本当に見えない状況にある方に比べたら、こうやって書いたりすることが甘えた状況と言えなくもなく、なのでためらいつつなのですが、見えづらい状況を体験することで思ったことを忘れないように書いておこう・・・と思って書いています。)

見えなくても、心配りされているデザイン。
見たまんまだけがデザインではないことは、デザインあっての機能、機能あってのデザインといったことでも、けっこう繰り返し書いてきたことなのですが、見えにくいと、さらにその大切さを痛感することに遭遇します。
よく見えているときには、ただ、かっこよくてきれいだったデザインされたもの。それが見えなくても使いやすいなら、なお良いデザイン。もちろん、すべてにおいてカバーしなければダメなんてことはありません。けれど、場所とモノによって、そうでもあってほしいものって、けっこうあります。

つい先日、仕事の合間に、某所のアップルストアーに立ち寄ることがありました。
アップル、“デザインされたもの”の象徴的存在ともなっていますね。ストアーも見た目、洗練されています。
・・・あぁだけど、わたしは、2Fへ上がるためにエレベーターを見つけられず、戸惑ってしまったのでした。半透明の綺麗な螺旋階段。でも、そこでの上り下りが、現在のわたしには非常に怖いと感じてしまったのです。さらにそれに追いうちをかけたのは、降りようとしているわたしを前に、階段を上がってこられた店員さんでした。階段踏面の幅の広い側を手摺を使って上がってこられ、わたしに気がついていらしたけれど進路を変えてよけることなく上がりきって行かれました。わたしは、店員さんが階段を上がりきって通り過ぎるまで、怖くて降りることができませんでした。
店員さんにしてみれば、まさかわたしの目が見えにくい状態にあるなんて思いもよらなかったでしょうし(見た目には、両目ともぱっちり黒々と普通に見開いていますから、全くわからないだろうと思います)、気にも留めなかったのかもしれません。ですがそういった対応は、わたしがかりに見えている状態でも、本当はストアーイメージとして、かなりのマイナスイメージなのは確かです。そのとき、たまたまだったのかな・・・。でも、そういう感じでもなかったんですよね・・・、ほんと残念でした。

おそらく、百貨店などで教育を受けてる店員さんには、あり得ない店内接客対応かもしれません。
デザインの社会って、まだまだ広い社会の中に照らし合わせて見た時には、一般常識的なマナー面などで遅れていると言いますか、教育が行き届いていないと言いますか、アバウトと言いますか・・・そういった面があることも事実で、…なのですが、そこのところに気がつける目を養っておかないと、良いデザインにたどり着けないことも本当なのです。
(アップルストアーについては、本当にたまたまであってほしいです。)
ラフでのびのびとしていることで良い発想が生まれることも確かにありますが、それだけでは足りないことはたくさん過ぎるくらいあって、その両面が必要だったりします。けっこう大切。

それこそたまたま今回、アップルストアーのような“デザイン”代表選手を掲げているみたいなところで体験してしまったから書きましたが、デザイン界を代表しているみたいな風でいて、案外、そんな心配りに欠けてると感じたお店、わたしは遭遇したこと今までにもないわけではありません。(そう感じた場合、今までは書く対象にしなかったということもあります。)
例えば、喫茶だけではなく食事もするような場所なのに、テーブルと椅子の高さのバランスが悪いために食事がしにくいところとか・・・。そのバランスの悪さは気がつかないようで、店内のいたるところに表れてしまっていたりします。デザイン、デザインと言われている場所で、そういったところなんかもありました。仮にその場所の意義が他の部分にあったとしても、デザインを社会へなげかけ、ましてやサービス面での充実につながるコンセプトも含めていたりする場所だったりした場合には、気がつくべきことだとわたしは思っています。でも、けっこう、そういうところのオーナーさんにかぎって、他所さんの批判を声高に語ったりするから、デザイン業界での“言わぬが花”を、わたしは非常によく感じてしまうのかもしれません。(苦笑)
それはさておいて・・・、自由さから感性を磨けばいいとして、常識を磨き忘れた・・・、そんな部分が、デザイン社会でのかなり大きな課題だと、ずっと思ってきたことでもあったりします。
そのことをちょっとしみじみと思い出してしまった、残念な階段での出来事でした。

“心配りされているデザイン”は、これからますます大切になってきます。
なにしろ、高齢化社会です。
また、デザインされたものが取り扱われる場所においては、そのサービス面の良さが、扱うもののデザインの良さ(クオリティ−の高さとでも言ったほうがいいかな)に比例するとも言えなくはありません。

そう言えば、今年のデザイナーズウィークのテーマは、“LOVE”ですね。“心配り”には、愛があります。主張する以上の思いやり。すごく関係あるかもしれません。
(この状況で、今年は東京までは行けそうになく、それも残念だったりです。)


わたしが、まだ一応若い(?苦笑)うちに見えづらい体験をしているのも、この体験も今後に活かしなさいよ!、というどこからかの思し召しかもしれません。(合掌)




<目のことについてなど、ご心配いただいたり励ましていただいたり・・・、メールなどいただきました皆様に、心から感謝しております。
こんな風にまた書いちゃっておりますが、大丈夫。体は元気なもので、スポーツジムで自転車こいだり腹筋したり(さすがにエアロビは今控えてますが)、そんなことも続けているくらいでして・・・、逆境は、いつか何かのバネにしてやるぞ・・・という根性のわたくしです。(でないと、イキテイケナイヨノナカダワ(汗))
秋深まる季節、皆様も、お風邪などひかれたりしませんよう、くれぐれもご自愛ください。
スポーツに、アートに、読書に、そしてデザインに、楽しめる秋でありますように・・・!>
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2006年09月27日

“かわいい”が世界を制す

日曜日の夜に放送されていたNHKスペシャル、「東京カワイイ★ウォーズ」。
東京のファッション界の昨今の異変、リアルクローズのファッションフェスタ「東京ガールズコレクション」の盛り上がりと、対するモードの世界。モデルのエビちゃんこと蛯原友里さんの大ブレーク。ファッションフェスタ×ファッションの携帯サイトでの販売。
東京発信のマルイが大阪に進出し、それを見に行った後で見る番組としては、わたしにはとてもタイムリーな内容でおもしろい番組でした。

かわいい綺麗なモデルさん達が、ごく普通の女の子達にとって遠い存在ではなく、“わたしと同じようにしてみてね☆ねぇ〜かわいいでしょ〜”と、おいでおいでと手招きする世界観が、買いやすい価格的手ごろさも手助けして若い女の子の心を虜にしてしまうのも、わかる気がします。
まぁ、うまいですねぇ〜という戦略ですね。
おしゃれ好きで買い物好きな若い女性の、すごく自然な心理を突いた戦略だと思います。

そう、ビジネス戦略なわけです。
しかし、この番組を見ながら感じたことで、わたしがなんとも言えず少々しみじみしてしまったことに、ファッション界もまだまだ男社会なんだなぁということがありました。NHKの番組編集の仕方のせいなのかもしれませんが・・・。どうなのだろう、と感じました。
コシノヒロコさんも出演されていましたが、エビちゃんを招いて戦略を練るフクスケのご様子も、モードの世界「東京コレクション」の運営に関した会議シーンでも、おじ様男性が頭を悩ませておられる。その印象がやたら強く感じられましたし、悩まれているご年配の男性の方々のファッションセンスも、少々・・・気になってしまいました。
男社会の点では、「東京ガールズコレクション」の主催も、お若い方ですが男性です。渋谷で販売員されながらデザインもやってる女の子(彼女達のパワーはすごいと思いましたが)も登場していましたが、経営者はあくまで男性。
そして、ご年配の方も若い方も、買ってほしいターゲットの女性達の“かわいい”の一言に右往左往しておられる。
ビジネスの舞台裏なわけですが、男社会にありながら年配の男性のご様子などには、なんとなく悲哀を感じなくもなく、少々痛ましく感じないこともなかったのでした。
もうちょっとビジネスでの表舞台に女性を立たせることを考えていけば、わざわざ“かわいい”に慌てなくても振り回されなくても、売れる、話題を呼べる仕掛けを創り出すことに、そう苦労しなくても済むような気がしたり・・・。エビちゃんに意見をお伺いしてたフクスケにしても、社内の女性達の意見に日頃から耳を傾けてらしたのかなぁ・・・という気もしなくもなく。う〜ん、ほんと、どうなのでしょうね・・・。エビちゃんのネームバリューが欲しかっただけに終わってしまうと、後が続かない気はします。
リアルクローズがなぜ売れているのかといえば、それを纏う大人気のモデルさんにしても、普通の女の子達が感じるようなことをうまく表現しているところにもあるのですから。

そして、コシノヒロコさんの言葉、「真似だけでは、永く続くものは創りあげられない」。これも、その通りだと感じました。
現在のリアルクローズの世界は、モードから変換さえて一般向けにし、価格を抑え、綺麗だけど身近に感じられるモデルさん達の活躍により親近感も植え付け、けれどデザインで言えばモードから“真似”てる世界でもあると感じます。渋谷で大活躍の女の子達もプロではなく、プロはいらないと経営者男性は言い切っておられました。その年代にある女性達がその年代の心理で流行を追えば、売れるものに確かにたどり着ける。けれど、彼女達もいずれ気がつくはずです。単なる流行だけで自分達が終らないためには必要となってくるであろう技術や知識についてを。プロのデザイナーはいらないという渋谷の店だけで、2週間で賞味期限が切れるという流行に追い回される繰り返しだけに終わらず、経営者も息切れせず永遠に続けていくことができるのか。わたしには、かなり謎な気がしました。その方が大変だろうなぁ(精神的にも、体力的にも)・・・と。そのことに先に気がつくのも、界隈と密着しながらマーケティングしてる、成長していく女の子達だったりして。

企業で団塊世代が去る時代、しばらくは混沌とした時代になりそうな気配もありますが、それと同時に、女性の購買力によって成せる世界では、その舞台を支える力には、もっと女性が華を添えていていいんじゃないかなぁと思ったりです。その方が、世界を制す“かわいい”を操れますよ。“かわいい”のお次は何がくるかも見えてきますよ、きっと。どうぞ、と、やさしく道を開けてみませんか?紳士諸侯。(それに踏ん張ってばかりいて疲れちゃうより、その方が素敵になれますよ、きっと。)なーんて。

わたしもおしゃれ大好きな人間ですが、1ヶ月のお小遣いや生活費をすべてつぎ込んじゃうような買い方には、要注意ですよ、女の子達。だって、おじ様方の懐ばかり潤す、おいしいカモになっちゃうこともないのじゃない・・・。なーんて。
(少々、黒くて先が三角に尖ったシッポが生えて、背中にコウモリみたいな黒い羽が生えて・・・きそうな意地悪虫な気分でもありますが、いえいえ、まともな考えでもあると思います。(苦笑)年頃のお嬢様をお持ちのおじ様方なら、これも間違っているとは、おっしゃらないかな・・・と。)


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追記:(2006.09.27 12:00)
ちらっと、男性のファッションに絡んだことも書いたりしましたが、わたしは、一般的に言われる“人は見た目”の重視派ではないのかもしれません。人それぞれ、見た目の感じ方も違うと思いますので、これも表現しにくいところですが、“見た目”は確かに大切な要素ではあると思いますが、中身から見える“見た目”がより大切だと思っていたりです。
女性がそういったことを書きますと、“どうせ自分がたいしたことないし、自信がないからだ”とか言われかねないので、今まであまり書いたことがないことですが、・・・まぁ、ことネット上などだと、ご自分の見た目に自信をもった発言をしている方にリアルにお会いして、本当におっしゃる通りに見た目も素敵な方だと思ったことは、ほとんどなかったりします。
それを口にしてしまう時点で、本質的に品性というものをあまりわかっておられないのかも・・・、という見方もできるということ。自信を持つことと、口にしてしまうことは違うということは、かなり感じることが多いです。
そういう点でのネットとリアルの矛盾は、よくあることかもしれませんね。他人の服装について、きちんとすることを奨励することを熱く語っている人が、多くの人の前で“あんなこと言ってた方が?うっそォー”とのけぞってしまったこともあったり。
こういうことにしても、言わぬが(書かぬが?)花なのかもしれません。

日曜日のTV番組で気になったのは、ファッション業界の方なのだからと、放送されるのだからという部分がありました。ラフさでお気が回っていないみたいな、パリッと感は、けっこう大事ですよ・・・みたいなことが気になってしまった・・・みたいなです。
取るに足らないことでもある、かもしれません。

男女問わず、やっぱり中身が大切だと思いますよね。
そして、雰囲気に表れる適度な心身の健康的健全さと清潔感があれば、言うことなし。
それとデザインも、相通じる部分があるような・・・。
posted by Rin at 00:45| Comment(2) | TrackBack(1) | デザイン全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月17日

全般を理解せずして成り立たず

ラグジュアリーという言葉、最近よく使われるようになった言葉だと感じる。実際わたしも、例えば「マンダリン オリエンタル 東京」について記事を書かせていただいた時、ラグジュアリーという言葉を使っていた。訳せば“豪華で贅沢”といったことだが、こいうった横文字に少々+αな香りのような隠し味的魅惑的感覚を持ってしまいやすいところ、使ったわたしも苦笑してしまうものだったりする。
そして、その言葉を使わせていただいたマンダリン オリエンタル 東京などは、確かに魅惑的な場所でもある。素敵なところである。それは別として、ここしばらくの間に感じたことで話を進めたい。

最近、東京にお住まいの方とお話する機会が何度かあり、よくありがちな話題として、東京VS大阪・関西みたいなことでも盛り上がった。東京の方の、大阪や関西に対してお持ちの感覚が、本当に人それぞれに違っていておもしろかった。いわゆるステレオタイプな大阪のイメージ、お笑い・たこ焼き、道頓堀に見られるような街からのイメージが大きい方もあれば、そうではない部分もよくご存知の方もあり、とはいえ聡明な方々は皆さま実に心得ていて、関西人のプライドを傷つけるのはうまいやり方ではない(笑)、みたいなこともよくご存知でデリケートさを失わない、とても表現がお上手だったりする。全国規模、あるいは更にグローバルにビジネスで成功できる方というのも、そういう方であるということを感じることも多い。

さて、“ラグジュアリー”だが、雑誌などで東京の施設の説明に使われたりをよく見かける。東京へいざ行かんのお誘い文句としての“ラグジュアリー”。けれど、関西にラグジュアリーな場がないかといったら、そうではない。関西人がラグジュアリーを東京に求めているかといったら、それもおそらく違うような気がする。そういう方もおられるだろうが、どうかなぁ、わたしは違う。わたしの場合、東京生まれの関西育ちで、どちらの良い部分も悪い部分もある程度はわかって、まぁ、どっちがどっちと比べられるものでもないと思っていたりではあるが、大阪のステレオタイプな部分とは違った面はもっと知られてほしいし、案外、日本人全般の感覚を理解する早道が関西には多々揃っていて、それを理解できる企業や人は、首都圏範囲のビジネスに終わらない・・・なぁんてことを思ったりもある。それはわたしが現在、関西に住んでいるからという欲目の部分もありだが、地方の方々も同じように、首都圏ではなく、我が住家のある地の良さを常々知られてほしいと心ひそかに思っている人も多いのではないだろうか。
例えば、そんな心情を無視した雑誌などの購買部数が今後伸びるのかどうかも、少々疑問の残すところではあると思う。
わたしの欲目に話を戻すが、お江戸以前の日本文化は、なんといっても西からであり、鎌倉より東の首都圏を通り越して北でも広がっていた。例えば建築などでの、豪華にして贅沢、荘厳な文化跡を、非常に身近で目にしていることが多くて、それについて改めての意識を持っていないのは関西人かもしれない。
何を古い時代を持ち出すと思われるかもしれないが、どんなに欧米文化が入り込んでも、日本人は家では靴を脱いで生活するし、フローリングも欧米文化のように思われがちだが、床板貼りは日本文化である。デザインについて言えば、文化や生活様式とは切っても切れないものだし、この活動はビジネスでもある。根底的なことに目を向ける意識がなければ、それ以上の発展などないし、上面だけの流行に終わるようにも感じる。

首都圏は、確かに情報発信が早くて多く、変化も早い。だが、首都圏エリアのみを対象としないビジネス感覚を持つには、地方から見た首都圏への憧れ意識といったものをくすぐるみたいな感覚と同レベルのアプローチ、それで成り立つ時代は既に終わっているという認識も必要ではないだろうか。日本から見た海外への意識も、そろそろ同様のようにも思う。
交通手段の発展、インターネットの発達、情報はあふれ、感性の磨き方も人それぞれの時代だ。
日本の一般ピープルを甘くみてはいけない。海外から見れば、靴を脱いで家の中、清潔に綺麗に住まう日本人は、それこそラグジュアリーを昔からごく自然に手にしているのかもしれない。

ラグジュアリーという言葉、わたしが今後使わないかといったらそうではなく、関西の、全国の、世界の、魅惑あふれるラグジュアリーな場も機会があれば訪れたいし、紹介したいものだと思ったりである。
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2006年08月19日

主観と客観

主観と客観の違いを、どこまで誠実に認識して語ることができるか・・・、とても大切なことのように思う。

主観に突っ走ってよいものもある。
だが、いつまでもそれでは困るものもあるということ、そう客観的に判断されるものもあるということ。例えば、影響力をもって若い人々に伝わるような場などは、主観的な考えと客観性を分けて伝えることや考える必要性が高いと言えるのではないだろうか。


デザインを言葉で表現し、伝えるには限界がある。
その歴史や分類など知識的に学ぶことは、新しいデザインを生み出すための材料にはなっても、良いデザインを本質的に理解することから遠ざけることもある。
一般的に良いデザインは頭でっかちではない、すごく自然体であること(人や自然にやさしいといったことなど)が多い。これもあくまで、一般的な客観視によるところであって、“良いデザイン”は、人それぞれによって違うという部分が必ずある。
とても個性的なものが、ある人にとっては絶対無二の“良いデザイン”であることもある。
一般大衆向けと個人向けでは全く判断が変わるし、一般大衆向けでも人それぞれの感じ方によりけりであったり、時流に関わって変化することもある。

もし間違いなく言えることがあるとするなら、それを必要とする人にとって、どうあるデザインであるのか。それに尽きる気がする。

必要とする人にとって、必要とされるものが揃っているのか。
機能面、鑑賞面、価格面、そこから受ける精神面・・・、様々な面で、必要とする人が納得できるかどうかがすべてだ。
それを追究し、理解し判断できる、創りだせることができるかどうか。
本質はとても単純なことを、総合的に組み込んでいくことができるかどうか。
主観的判断は、その単純なことを複雑化して、見えにくくしていると感じることが多い。主観に傾く批判や自らの言葉に酔う言葉などは、デザインに必要な本質が本来は単純なだけに、空虚に感じる。

自分のためにデザインするのでないかぎり、その行為には、常に客観性が必要とされる。
客観的なものの見方の重要性が、ここにあるように思う。
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2006年06月11日

八咫烏(ヤタガラス)

サッカーワールドカップが開幕しましたね。
日本代表の初戦・対オーストラリア戦が、明日に迫っています。

さて、ご存知の方も多いことと思いますが、ご存知ない方も“ふーん・・・”と、ちょっと楽しめるお話をひとつ。

JFAシンボルマーク.jpg日本代表メンバーの胸に輝くシンボル、日本サッカー協会のシンボルマークは、“八咫烏”という「古事記」「日本書紀」といった日本神話の中に登場する、神様のお使いの3本足の烏です。

天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫であるイワレヒコが、美しい国があると言われる東で都をつくろうと日向国(現在の九州・宮崎県)を発ち、大和国(現在の奈良県)を平定し、初代天皇・神武天皇に即位するまでの神武東征の物語の中で八咫烏は登場します。
神武東征の折、熊野から大和に攻め入る道中でイワレヒコ率いる東征軍が道に迷い、その時、この八咫烏が天から遣わされて大和まで道案内するのです。そしてその後、イワレヒコは勝利し、大和を平定していきます。

つまり、日本建国の物語の中、初代天皇となったイワレヒコを勝利へと導くため道案内をした神様のお使いの烏が、サッカーワールドカップ日本代表のシンボルマークでもあるのです。
こういう意味もわかると、なんだかすごく力強いシンボルマークに思えますよね。

最近、少しづつ書かせていただいている「エキサイトism」さんのウィキにも、開幕日に“八咫烏”についてを投稿させていただきました。3本足の意味や、なぜ日本サッカー協会のシンボルになったかなども、まとめてそちらへ書かせていただいています。

日本代表を、勝利へ、良い試合へ、導いてほしいですね。
がんばれ!日本!!
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2006年05月20日

デザインの深読み

ここしばらく表参道を訪れたことを書き綴っていますが、東京へとやって来て品川駅へ降り立った時、オノボリさん状態のように、“おっ!”となった出来事がありました。
新幹線のホームからエスカレーターで上がったすぐのところで、坂井直樹氏とすれ違ったことでした。わたしは坂井氏についてお写真を拝見したことがあるだけでしたが、髪型とメガネ、間違いない…と思います。(坂井氏をご存知の方は、わかりますよね。)

有名人の方と偶然すれ違ったりといったこと、今までにもけっこう経験あるのですが、驚きました。“東京・表参道デザイン散策”としては、幸先の良い偶然。わたしが目を真ん丸くして直立不動していたら、「こんにちは!」と、とても快活に声をかけて下さいました。坂井氏は、わたしが来たのと反対のホーム(新大阪方面行き)へ降りて行かれるところで、起き上がりこぼしみたいに繰り返しお辞儀しているわたしに、ご丁寧に応対してくださりながら去って行かれました。(もしも万が一、これをお読みくださるようなことでもあった時のために、『その節は失礼を致しました』と、申し上げておかなくてはなりません。(苦笑))

坂井氏と言えば、長く雑誌「Pen」で連載執筆されていたコラム『デザインのたくらみ』が、今年1月に本になっています。そのコラムが坂井氏のオフィシャルサイトでも読めることは知っていたのですが、今年2月からブログもお書きになられていたのですね。その名も『コンセプター坂井直樹の”デザインの深読み”』だそうです。まだ拝見させていただいたばかりですが(遅!)、興味深い楽しい内容のようです。とても個性的でパワフルな人生観からくる、“もうひとつの視点”とでも言いましょうか…、そんな坂井氏流のデザイン論を拝見できるかもしれません。

時々、直接の仕事からは離れて小旅行すると、いろんな新しい刺激を受けて脱皮できたりします。この時のちょっとしたすれ違いだけの出会いも、そんなきっかけの第一歩になっていたように思います。
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2006年04月14日

使い方と使われ方からの模索

昨日、会社からの帰宅時のこと、残業も終えてのそれなりに遅い時間の混みあった電車の中、大人たちに挟まれて小学校1〜2年生くらいに見える男の子が腰掛けていました。華奢な、ほんと小さな感じの男の子です。リュックを背負ったまま、ちゃんと腰掛けられていない状態の変に体を曲げた姿勢で座り、首からストラップで掛けている携帯の画面を食い入るように見ながら、ゲームをしていました。
両サイドに腰掛けている大人の方の様子を見ても、どうもその男の子の親御さんではないようで、なんらかの事情で一人で電車に乗っていたようでした。

ものすごく気になってしまいました。何も言えもしませんし、ただ様子を見ていたに過ぎません。その小さな子の、姿勢などにもかまわず夢中になっている様子も、小さな携帯画面を食い入るように見ている小さな眼も。
わたしは、自分がテレビゲームとかがあまり好きではなく、ほとんどしたことがないため思うのかもしれませんが、大人が大人の判断で娯楽として楽しむことは人それぞれだと思っていますが、まだ脳も眼も成長過程にあるような小さな子供達の健康や、自制できずにのめりこんでしまいやすいであろう時の心身のバランスなどには、そういったものは良い影響よりも悪い影響の方が大きいのではないか・・・、そんなことをその様子を見ながら、改めてつくづくと感じたのでした。

子供達に携帯電話を持たせることは、安全面や親とのコミュニケーション面でも、あれば良いこともたくさんあるだろうと思います。インターネットにしても学習などでの利用として、今後の社会を考えると利用する良さもあるだろうとも思います。
ですがやはり、子供達への与え方、使い方を一緒に考える大人の姿勢が、ものすごく大切なことのように思えたのでした。
そしてこれは、ものづくり側の、提供の仕方にも関わってくる問題でもあるだろうと思います。

満員電車の中、男の子は、わたしが降りた時も、小さな画面にとりつかれたように夢中になっているまま、電車に揺られて去って行きました。なにも言えず、なにもできず、その電車を見送りながら、なんともいえない悲しいような苦い気持ちにさいなまれていました。
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2006年04月10日

デザインを語ると社会も動く(かも?!)

デザインに携わる方々から、デザインが一般社会的にひとつの流行のごとく捉えられている・・・といったことの、お嘆きな言葉を耳にすることがあります。

デザインが社会・文化に影響力をもっているということは、建築と文化・モノの製造と経済の関連から歴史的に見ても語られることと思いますが、デザインに関わるブログをしばらく続けてきて感じることとして、デザインそのものもですが、デザインについて語られる言葉にも、社会的な影響力があるかもしれない、そんなことを感じることが多々あります。

なぜか・・・と申しますと、例えば、CMを制作される方々は広告業界のアートディレクターであり、雑誌などの編集者の方も言葉に対してのみならず紙面のデザインに拘る分野のお仕事です。Web上に各種サイトを制作されるのも、Webデザイナーです。現代、何かを社会に向けて発信される方々は、視覚効果として、必ずデザインにも拘る必要に迫られます。これら仕事上デザインを気にする方々が、デザインに関わるものに目を通すことを積極的に行うであろうことは、自然に起こりうることのように思います。
そして、デザインに関して書かれたものが、一般社会へ向けた発信への発想の参考になることは、十分起こりうるということです。

ブログ人口もどんどん増加する昨今、日曜大工のごとく日曜Webデザインといったようにデザインに拘る、デザインを仕事としているわけではない人々も増えてきています。
ごくごく自然に、デザインを巡る様々な事柄が、社会全体に入り込みやすい地盤は出来つつあるとも言えるかもしれません。

デザインに対する社会認識を良くできるかどうか、それが、デザインについて語られる中での誠実さにもかかってくるかもしれないということ、そんなことも感じるこの頃であります。
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2006年04月03日

新たな挑戦に向けて

タキロン株式会社 
100%design 開発メンバー様

拝啓 桜美しき季節、皆様におかれましては、ご清祥のこととお喜び申し上げます。
このたびは大変ご丁寧なメールを頂戴し、恐縮しております。
昨年の100%designの折、拝見させていただきました東京電力・町田ひろ子アカデミー・輸入住宅産業協議会のブースに置かれていた、LEDの色鮮やかなグラデーションで発光する椅子。それを取り上げさせていただきました記事をご覧くださって、開発メンバーの方々にお喜びいただいているとのこと、このようにブログを綴ってまいりましたわたくしにとりましても、うれしいことでございます。
メール、ありがとうございました。

100%designでのLEDを使った商品は、大きく注目されるもののひとつであったと存じます。
素材としてにとどまらぬ、開発へ意欲をもって取り組んでおられる方々の挑戦が、目に見える形としての良き結果を生み出されますことを、つたない場ながら書かせていただきましたデザインに関わる者としましても、願うことにございます。
会場でお話をお伺いさせていただきましたご担当者の方も、また今回いただきましたメールにも、とてもご誠実な心意気を感じますものございまして、このように改めて記事とさせていただきました。
このようなやり取りが巡りめぐって、双方にとりまして、努力や意欲の心にささやかながらにも繋がっていくものがございましたなら、この上なく喜ばしく存じます。

開発メンバーの皆様の、今後のご活躍を楽しみにしております。

                                   かしこ     

<100%design LED関連記事>
http://katachi-data.seesaa.net/article/10304649.html
http://katachi-data.seesaa.net/article/10434010.html
posted by Rin at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | デザイン全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月19日

知恵=デザイン

しゃもじ.jpg
我が家で活躍の、おしゃもじ。
大手メーカーの炊飯器に付いていたものですが、とても使い勝手がよく、ずっと使っています。炊飯器に合わせて、納まりよく、耐熱加工もされ、つくられてもいます。

そして、おしゃもじのカタチ。昔からある、これもデザイン。
生活の中で生み出された、モノのカタチ、その知恵。
デザインの根本ではないでしょうか。
posted by Rin at 14:39| Comment(2) | TrackBack(0) | デザイン全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月16日

日本のデザインをめぐる要素

建築やインテリア、プロダクト、良いデザインのものを世に生み出すためには、デザイナーのデザイン力は当然重要なのだが、形にする段階での技術力も非常にものを言い、これも大変重要であったりする。
どんな優れたデザインの図面を描いたとしても、それを見事に形にしてくれる現場サイドの段取りや相談、指示、そしてさらに威力を発揮する職人さんの技のような部分、この協力がなければ良いデザインに結びつかないことは多々ある。
先だってのJCDのシンポジウムでのお話しをまた取り上げると、佐藤オオキ氏のwindというスツールがあるが、あれが出来上がったのは天童木工の職人さんの技あってのものだったそうだ。
話を聞かなくとも業界の方なら、windを一目ご覧になって、天童木工と結びつけられた方も多いのではないだろうか。

この技術力は、気がかりな部分では2007年問題とも絡んでくる。団塊世代の定年退職から起こりうる問題、一見デザインとは関係ないことのように見える社会問題が、良質のデザインを生み出せるかどうかにも関わってくることで、人材の育成がこれから重要課題となってくるだろう。
プロダクト生産においては、海外での生産土壌の開拓もさらに必要とされ、情報管理と技術力発信が日本経済をも支える鍵になるようにも感じる。
また生み出すだけではなく、その後のメンテナンスといった対応の良し悪しも、この問題と昨今の企業の生き残りをかけた大量リストラが関わっている。現場サイドの人材確保は、長期的な展望に立った時の企業の存続において、考え改めるべき問題でもあるかもしれない。

優れた人材や技術力、さらにここから考え進めていくと、本来、日本人が持っている情緒といったことにも繋がっていくようにも思う。団塊世代が築いてきた高度成長へ向けた技術力のこだわりは、勤勉さであり、きめ細やかさに気がつける心からくるものでもあり、昔から日本人が培ってきた精神世界にもおおいに関わる部分である。
そして、この精神的な要素は、デザインの世界にも巡りめぐって反映される必要を迫られる。
日本のアニメーションやマンガは海外でも高い評価を得ているが、そのきめ細やかさや情緒豊かな感性による表現力が評価されているとも言えると思う。
日本国内のインテリアやデザイン雑誌で、売れる雑誌、売れゆきの伸び悩む雑誌の違いも、内容ありきの上で、一目見た瞬間、この感性に響くようレイアウトされているか否かも関係あるのではないだろうかと思うことがある。海外のすばらしいものを日本に取り込む時には、見せ方、色使い、日本の環境に置き換えてみる必要もあるのではないだろうか。
どんなに欧米文化が広がっても、日本人が子供のころから育っていく環境の中で、四季があり、それを愛でる日本人の心理は、好むものを自然に選ばせる。桜の花びらや紅葉に感じ取る色合いや風情のような、そんな環境の中で自然に身につく選べる感性は、今、日本人が見直すべき、世界にも誇れるものを生み出せる原動力のひとつでもあるのかもしれない。
無機質な素材のものすら、まわりの環境とのマッチやいくつかの素材の組み合わせで、わびさびといった風情を表現させるような感性も日本人は持っており、そんな建築やプロダクトのデザインを手掛けられた建築家やデザイナーの優れた方々もおられる。

昨日記事にさせていただいた誰でも参加できる基本を築ける要素と共に、一方ではデザインと一口にいっても本当に様々な要素が絡み合って、ようやく人々に愛され評価されるものが出来上がるということも、デザイナーはもちろん、デザインに携わる人は心に留めておく必要もあるだろう。
そして、日本人の本来持っていたはずの魂や感性は、世界に通用するものを生み出せるということにも今一度目を向け、見失わず、自信と誇りをもってよいのではないだろうか。
デザインの世界においても。
posted by Rin at 18:54| Comment(4) | TrackBack(0) | デザイン全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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