2007年03月16日

長期的展望における“遊び”

仕事において、大きなプロジェクトをはじめようとする時、その長期的な展望を考えながら、慌てず、騒がず、はしゃがずあることも、とても大切なことだと思います。
それでいて、続けるためのモチベーションも保てなければならない。盛り上げつつ、盛り上げるだけではいけない部分、その状況判断はなんらかの形でプロジェクトに関わる人に必要なことでしょう。

プロジェクトにも様々なものがありますが、世の中に前もって大きく宣伝して始めるもの、そうはせず、はじめてから軌道修正をできるようにしておくもの、そのプロジェクトの目的によって方法も色々です。
その方向性を、プロジェクトを進める核となっている人々が理解していれば、慌てることなく対処が可能です。

それが企業のプロジェクトであれば、その企業の方向性を信じて集まる人もあるでしょうし、人が中心であれば、人の考え方を信頼して集まる。
企業や人は信頼していても、考え方や立場によりそのプロジェクトには一致できないものがあって、参加を見送る人があることもごく自然なことだと思います。

自分が何かのプロジェクトに参加する時は、その関わり方にもよりますが、方向性や展開の仕方をある程度予測して判断します。軌道修正の可能でないものに参加するようなことは最初からしないでしょうし、プロジェクトの中心となる企業や人の意図をある程度探って、見抜くこともできる自信は多少なりとも持っているつもりです。かといって、それが間違っているとなった時には、自分自身も軌道修正を図ります。大人の仕事の集まりとは、プロジェクトへの信頼に基づいての、そういう自己責任も問われるものでもあるだろうと思います。


これ、最近あった超身近な実際の仕事に関わることとは、全く無関係なことで書いています。(誤解も招きかねないので、書いておきます。)
でもまぁ、何かをはじめようとする時には、最初の最初からうまくいくなんて思わない余裕、建築などで隙間として表現される“遊び”の部分は必要ですね。
自戒もこめて、思います。
posted by Rin at 18:14| Comment(5) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月11日

土地の変貌

大阪中之島旧地図jpg

大阪新中之島線地図.jpg

現在、大阪の中之島では、京阪・天満橋駅から大阪国際会議場までを結ぶ、京阪の地下鉄線となる中之島線の工事が進んでいる。堂島川と土佐堀川の間を平成20年開業の予定で掘り進み、着々と新駅誕生の準備が進められている。

2枚の写真は、その中之島線の工事状況などを一般にも公開する「中之島新線インフォメーションセンター」に展示されていたもの。
上部の写真は、文久3年(1863年)・大阪城天守閣所蔵ということだから、幕末の新撰組活躍のようなころに発見されたもののようだ。
そして、その図と並べられて、新中之島線の路線図地図が展示されており、見比べられるようになっている。
昔の中之島と現在の中之島、ちょっと見たところでは中洲の長さが広がったように見える。このあたりについては、もう少し調べてみたいところだ。

新しい中之島線だが、各駅の企画デザインコンペも行われて、錚々たる方々も参加されておられた。中之島線のホームページで各受賞作品も見ることができる。(→受賞作品概要

地下と地上を結び、美しい新たな中之島を演出する、そんな新駅が誕生してほしい。
それにしても、文久の時代以前の測量技術もすごいなぁと思う。けれど、その時代に測量した方が新しい地下鉄などのある中之島を見たら、腰を抜かすことだろう。
土地の自然とも共存し、昔の人にも良い街になったと思われるような開発は大切なことだと、そんなことも改めて思う。
posted by Rin at 13:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 街角・風景 等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月07日

山のあなた

空070307.jpg

山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
噫、われひとゝ尋めゆきて、
涙さしぐみ、かえりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。

          カアル・ブッセ
          上田 敏 訳
posted by Rin at 00:45| Comment(2) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月04日

沈む太陽、開く花

梅と夕日.jpg

あらゆる魂に祈りをこめて。
日はまた昇る。
posted by Rin at 14:08| 街角・風景 等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

真実

人の人生は、いつ何が起こるかわからない。
予測不可能な分、楽しみもあれば、突然の不幸も起こりうる。

昨日早朝、ある人が天に召された。
このブログにもコメントをくださっていたような方だ。
これから、ご一緒に仕事をしようともしていた方だった。
前日、電話でお元気な声を聞いたばかりだった。
起こった出来事が、本当のことだとは信じられないような、
そんな突然の知らせ。
またお電話がありそうな、ここにコメントをくださりそうな、
そんな気がしてしかたがないでいる。

そして、もうひとつ、命が誕生しようとしている、
それを待ちわびている知らせも昨日あった。
今日にも生まれそうなその瞬間を待ちながらいる、
若いお父さんになる人の希望と不安。
光溢れる春の日の、幸福の瞬間がもうすぐ訪れることだろう。


今日のわたし、ピカソの絵のような仮面をいくつも張り合わせた、
そんな表情が人の目には映るのかもしれない。
心の底が自分にも見えない。
けれど生きるということ、命の尊さを、今日ほど考える日はない。
ある人を見送り、ある生命を待ちわびるこの日、
わたしはある年齢を迎える日でもある。

この偶然、喜びごとだけが本当のことで、悲しみはうそであったら、
どんなによいだろう。
posted by Rin at 13:41| つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月01日

ロングライフデザイン

最近、“ロングライフ”について考えることが多くなりました。私的な身近なところでは、自分の母などもよい年齢ですし、今後、どう支えていくかなどは課題であったりもします。また仕事においても、高齢化社会対策やユニバーサルデザインといったことで考えることもしばしばあります。

そうした中、“ロングライフデザイン”という言葉を、ネット上の辞書などで検索してみました。直訳すれば、“長持ちするデザイン”というわけですが、よくよく考えてみるとそう単純なことでもない。長く拝見しているブログで、ロングライフデザインについて考察されていらしたりの内容がとても興味深く、さてどうだろうと検索してみたのですが、この言葉、意外にも出てこないのです。Wikiにも掲載されていない。
ロハスは出てくるのに、です。
グーグルなどで検索すると最初に出てくるのは、さすがと言いますか、やはりナガオカさんのところです。次がグッドデザイン賞。
そして、思いました。言葉の内容は、本来は広く一般的であることのはずが、言葉自体はまだまだ、デザイン関係者の方々などの間での認識に止まっていて、だからその内容への認識もまだ、特別の範疇にあったりする、・・・のかもしれないということです。

厳選されたモノとしてのロングライフデザインと認識されるモノ、それは素敵で、特別でもあります。けれど、それがもっと一般に根づいてほしいという意図は、この言葉の裏側には大きくあるだろうと思っていたりです。
そうして始まる活動もあるのかな・・・とも思ったりです。

ロングライフデザイン、奥が深いです。モノの機能とデザインは切り離せない部分がありますが、ロングライフデザインと考えた時に、機能と切り離されて受け継がれるデザインもあったりする。飽きのこない家電の色彩や形状、CIなども含めた特色などが、そんな部分かもしれません。

人も長く生きたい時代、モノのあり方も長く受け継がれたい時代。そこに地場産業も含まれるようにも思います。
そして、もっともっと一般に溶け込んでほしい“認識”でもあります。
全国の百貨店に、そのコーナーがあったっていい。

ロングライフデザインはこれからも課題でもあり、その最後の方程式は次世代へ宿題として受け継がれて、やはり課題になっていくのかもしれませんね。


(PS.どなたか、Wikiにも素敵な説明を書きませんか?)
posted by Rin at 06:34| Comment(2) | TrackBack(1) | デザイン全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月24日

ラピート

ラピート1.jpg

関西空港と大阪市内を結ぶ、南海電鉄のラピートです。
このカタチ、つくづく思いますが、鉄人28号ですね。

デザイン関係者の方はご存知の方も多いことと思いますが、このデザインをされたのは京都の建築家・若林広幸氏で、ラピート登場の当時はJR西日本のはるかをデザインされた木村一男氏との間で、議論が繰り広げられたりもしました。
よく聞いたことのある意見は、“はるかは設計で、ラピートはデザイン”といったことでしたが、今更のように、どちらがどうのといったことをここで述べるつもりはありません。

ただ、当時はまだ現在以上に、元々の分野や領域を超えるといったことに、元々そこで活躍してきた方々の抵抗感は強かったのではないかと思います。
木村一男氏にしてみれば、新幹線のデザインにも携わってこられたその道のプロであり、車両のあり方というものに確固たる信念もあったことでしょう。そして、それに対抗する私鉄としての集客を見込むためのアイデアに、このラピートの斬新さも必要だったはずです。
どちらも、それぞれに必要とされた事柄に対し、真剣であったことには違いありません。

分野を越え領域を超えるところに、時として、まったく新しい発想の転換が生まれる。そこに立ち向かう姿勢が真摯であれば、後々には、それぞれにそれでよかったと落ち着くように思います。

ラピートもはるかも、どちらもその時の交通経路の利便性などで使い分けて利用しています。仕事での利用がはるか、プライベートでの利用がラピート、そんな気分的使い分けもあるかも。
日常的なイメージの強いものも、そうでないものも、どちらもそれぞれの理に適ったデザインなのではないでしょうか。

ラピート2.jpg ラピート3.jpg 

2007年02月22日

背景の上に成り立つ

ちょっと前まで、所謂おしゃれなデザインされた小物雑貨などは、少々特化されたインテリアと雑貨を扱うようなお店に並んでいたように思う。だが最近は、そんなお店の種類も増え、さらに100円・300円均一のようなところでも、それなりにおしゃれと感じられるような商品を扱うようになってきた。
文具やキッチン雑貨など、何か欲しいと思った時の購入の選択肢は、ものすごく多くなったように思う。

デザインにおしゃれ感をイコールさせる人は、未だに多いように思う。だが、それだけがデザインではない。それだけがデザインではないということを、有識者であるデザイナーの方々は、どこかで講演などがあるたびに一度は語っておられるように感じる。
デザイナーとデザインを売り物にするために仕掛ける人々の間で、デザインを理解するということの認識の差が案外大きくあるように感じられてしまうこと、その隙間を埋めることがデザイン界にとって結構重要なんじゃないかと思うことがある。社会がデザインとはなんぞやと考えるきっかけをつくる窓口が、いつまでたっても、“おしゃれである=デザイン”だけに興味を持ってスポットを当てているのでは、デザイナーの社会的意義が見失われてしまうのではないだろうか。

古い旅館を再生されたあるデザイナーの方が、大変な手間をかけ整理し空間をデザインしたが、できる限りデザイナーが手を加えたことを感じさせないようにデザインしたと語っておられたことがあった。空間に存在する時間軸の大切さを思ってのデザインということだったが、こういったことの重要性は、一般的に語られやすいデザインのおしゃれさからくるインパクトなど以上に、あらゆる場所に存在するデザインの重要性でもある。
そんな部分にも力をいれ、心を砕き、デザインされたものもたくさん存在するのだ。

都市では、街にあふれつつあるおしゃれデザイン。
それだけに消費者の目が必ず向くとは、限らないこともある。
同じ通りに数店のドラッグ店が建ち並ぶ激戦区で、おしゃれ感が高いデザインが前面に出たお店とそうでないお店、どちらが売れているかといえば、圧倒的にそうでないお店であったりすることもある。おしゃれ感が高いデザイン性の高いお店は、そのデザインを全国で統一展開しているようだが、地域によって異なる集まる消費者層の心理を見極められていないとも言える。
そうでないところがデザインをしていないかと言えば、そこにもデザインの力は存在している。

いろんなデザインのカタチがあり、その背景がある。
背景の上に成り立っていること、その内容がより重要なデザインの理由だ。

一般的に語られやすいおしゃれなデザインされたもの、おしゃれさにもいろいろあるが、デザインされたことを感じさせすぎないデザインの魅力も、もっと世の中に浸透していってほしい。
posted by Rin at 12:18| Comment(2) | TrackBack(0) | デザイン全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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